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74回目の紅白歌合戦

「3人だから乗り越えられた」伝説の解散宣言を経て…元キャンディーズ・伊藤蘭が感じていた“世間の空気”《紅白出場》

「3人だから乗り越えられた」伝説の解散宣言を経て…元キャンディーズ・伊藤蘭が感じていた“世間の空気”《紅白出場》

2023/12/31
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解散宣言後の世間の空気

 伊藤が芸能界に復帰したとき、世間では例の「普通の女の子に戻りたい」という言葉が独り歩きしていたために「何だ、前言を翻して」といった空気も感じたという。それに対し彼女は、《この峠を越えなければ次に進めないと強く思い》ながら(『サンデー毎日』2016年10月16日号)、新たな世界に挑んでいった。

「普通の女の子に戻りたい」とは、いまにして思えば、芸能界をやめたいというよりも、普通の女の子のように自分の道はやはり自分で選びたいという彼女たちの思いの表れであったのだろう。元マネージャーの大里洋吉もそれを見抜くかのように、すでにキャンディーズ解散の翌年、《あれから一年半、もうこれからは彼女たちが自由に未来を選んでいいと思う。(中略)芸能界でやりたければやりなさい。キャンディーズが単なる“かわいこちゃん”じゃなかったことをしらしめてくれたら、元マネージャーとして、鼻が高いね》と3人に呼びかけていた(『文藝春秋』1979年12月号)。

さよなら公演で歌うキャンディーズの3人 ©時事通信社

水谷豊と結婚

 復帰して以来、伊藤は俳優として活躍を続けながら、1989年には水谷豊と結婚する。馴れ初めはその7年前にドラマで共演したときだが、信頼できる人だとは思ったものの、当時彼は最初の結婚をしたばかりだったので恋愛対象にはならなかったという。それがやがて、気づけば信頼感は恋愛感情へと変わっていく。本人いわく《感性が近いところがあって、惹かれていったんだと思います。プロポーズされたときの返事が、「結婚式では前[引用者注:最初の結婚]のときと同じ服は着ないでね」でした。(笑)》(『婦人公論』1999年1月22日号)。趣里を出産したのはその翌年である。

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 趣里はバレエでイギリスにも留学したが、けがで断念、その後、両親と同じ俳優の道に進んだ。伊藤によれば、《家族全員が役者をやっているがゆえの楽しさもあります。同じ映画やドラマを見ても、いろいろな意見が飛び交うので、とても盛り上がります》という(『婦人公論』2018年5月8日号)。水谷とは、結婚したらもう共演できないと残念に思っていたが、2013年、映画『少年H』で夫婦役として約30年ぶりに共演を果たした。