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20代で総長のカバン持ち、シャブの売上は月に200万円超え…東大を目指していた予備校生が“ヤクザ“に入門した理由「俺もついに売人か…」――2023年読まれた記事

諸橋仁智氏インタビュー#2

2024/01/04

genre : ライフ, 社会

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2023年、文春オンラインで反響の大きかった記事を発表します。インタビュー部門の第3位は、こちら!(初公開日 2023年8月26日)。

*  *  *

 東大を目指す予備校生だったものの覚醒剤と出会い、ヤクザの道に進んだ末に逮捕。その後、一念発起して司法試験に挑み、弁護士になった諸橋仁智氏(46)。

 そんな彼に、ヤクザになるきっかけとなった“アニキ”との出会い、覚醒剤販売で月に300万円を稼いでいたヤクザ時代、覚醒剤の深みにハマる原因になる“味見”などについて、話を聞いた。(全3回の2回目/続きを読む)

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諸橋仁智氏

◆◆◆ 

雀荘で出会った、ヤクザ界に入るきっかけの“アニキ”

――東大を目指すも2浪して、成蹊大学へ。学校には馴染めましたか?

諸橋仁智(以下、諸橋) 1年生で4単位しか取れなくて、2年生になって早々に中退しました。予備校のワルい先輩がけっこう成蹊にいたんですよ。僕みたいに東大に行けなかった浪人生が。その先輩に誘われて入ったゴルフサークルは楽しかったですけどね。

――ヤクザの世界に入るきっかけとなった“アニキ”とは、大学に入ってから出会ったのでしょうか。

諸橋 成蹊に入ってすぐ。1997年、僕が20歳のときですね。僕が雀荘でバイトしていて、アニキがお客さんで、だんだんと話すようになったんですよ。

 アニキは吉祥寺のヤクザで、お父さんが武蔵境の親分なんですよ。そのお父さんの“会社”ってのが、八王子を除いた中央線沿線エリアを縄張りにしていて。

 で、アニキから「なにしてるんだ?」とか「飯行くか?」とか、しょっちゅう電話がくるようになって。アニキには僕がシャブをさばいていることを話していたから「なんかあったら、いつでも俺の名前を使えよ」みたいな感じで可愛がってもらっていて。そう言ってもらえると心強いですよね。

 

――早くにお父さんを亡くしただけに、“アニキ”から父性みたいなものを感じていたところはあったのでしょうか。

諸橋 いま考えれば、そうだったのかなと。その時は、そんなことは全然思ってなかったですけど。

 とにかく、いままで出会ったことのないぐらい頼りになる人でしたね。どんなことでも、すごく親身になって話を聞いてくれたし。あと、年齢的にも僕より27歳上だったこともありますしね。

 アニキとの関係がより強固になったのは、アパートで火事を出してしまったときですね。

――ボヤですか。