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「彼女の手は電話の方に伸びていた」杉良太郎が見た江利チエミの最期《死ぬほど愛した高倉健》

2024/01/26
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 それから間もなくのこと。羽田空港でノニに遭遇したんだよ。大阪行きの飛行機に乗ったらこれまた偶然、隣の席。さらに大阪のテレビ局でもばったり会って、帰りの飛行機でも隣どうし。こんな偶然あるのかと驚いた。ノニは一晩中飲んでいたのか、お酒の匂いがして、客室乗務員にお水を何杯もお願いしていて少し心配になった。それでも、「次はどこで会うんだろうな」なんて、笑顔で冗談を飛ばしながら別れたんだ。

 ノニが亡くなったのはそれから数日後のこと。彼女の友人から「チエミと連絡が取れない」と一報を受けて家に飛んで行ったら、警察が鍵を開けようとしているところだった。中に入ったら、寝室でノニは事切れていた。食べ物が喉に詰まり、苦しくて誰かを呼ぼうとしたんだろう。彼女の手は電話の方に伸びていた。

杉良太郎氏(本人提供)

 今思えば、あんなに浴びるほど酒を飲むなんて精神的によほど追い込まれていたんだろう。でも、若造だった僕は、心の闇に気づくことができなかった。そんな自分が情けなくて、ノニとの思い出を振り返るたびに胸がズキズキと痛むんだ。

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 ノニは、僕が自宅で開催していた寄席の常連客でもあった。この寄席は「杉友(さんゆう)寄席・恵まれない二ツ目を励ます会」といって、古今亭志ん駒さんから「落語界では二ツ目は充分な収入が得られず、芸を磨くための場所も少ない」と聞いて、僕が開催を提案したんだ。客席には俳優や政治家、スポーツ選手とそうそうたる顔ぶれがそろっていた。ノニはよく最前列に座って、目を輝かせながら落語を聴いていた。

 終わった後の酒宴では、彼女は泥酔するまで飲み、よく『テネシー・ワルツ』をアカペラで歌ってくれた。あの寂しい歌声は健さんのことを思って歌っていたのだと思う。健さんが死ぬほど好きで、好きなのに別れなければならなかった。それは天国に行っても変わらなかったと思う。

本記事の全文、および杉良太郎氏の連載「人生は桜吹雪」第三回は、「文藝春秋」2024年2月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

 

■杉良太郎 連載「人生は桜吹雪」
第1回「安倍さんに謝りながら泣いた」
第2回「住銀の天皇の縋るような眼差し」
第3回「江利チエミが死ぬほど愛した高倉健」 

「彼女の手は電話の方に伸びていた」杉良太郎が見た江利チエミの最期《死ぬほど愛した高倉健》

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