「戦後の暗い世相を明るい歌で照らし、万人の心に灯をともした存在はひばりをおいて他にない。彼女の芸には天性のものがあったし、人知れず大変な努力もしていたよ。
ただ、ひばりは自分の考えを押し通せる立場ではなく、九分九厘がおふくろさんの考えだった」
小林旭氏(84)が自らの俳優・歌手人生を熱く語る「文藝春秋」の短期連載「小林旭 回顧録」。7月号に掲載される第2回「美空ひばりと俺」では、これまで多くは語られてこなかった、日活看板スター・小林旭と歌謡界の女王・美空ひばりの結婚・離婚の深層を明かしている。
戦後最大級の華燭の典
昭和37年11月5日、イギリスでビートルズがデビューし、日本がオリンピック景気に沸いていた年の初冬、東京・日比谷の旧日活国際会館で小林旭(当時24歳)と美空ひばり(当時25歳)の結婚披露宴が盛大に行われた。披露宴には、片岡千恵蔵や鶴田浩二、中村錦之助ら錚々たる顔ぶれが集まり戦後最大級の華燭の典と謳われた。
銀幕のトップスターと国民的歌手の結婚に世間は騒然となり、二人の一挙手一投足にマスコミの目が向けられた。小林が振り返る。
「何しろあの騒がれ方は尋常じゃなかったよ。芸能界の結婚で新聞の号外が出たのは初めてのことらしいけど、いま時のカップルと比べる方が野暮というものだろうね。
振り返ってみれば一から十まで作られた話だった。ひばり親子がそういうふうに仕組んで、俺はレールに乗せられたんだろうね」
二人の出会いは昭和25年頃に遡る。当時小林は12歳。ひとつ年上のひばりは天才少女歌手と呼ばれ、映画や舞台で活躍する人気者だった。4歳の頃から児童劇団に所属していた小林が放送劇に出演するために行ったNHKで目にしたのは、大勢の大人を引き連れて廊下を歩くひばりの姿だった。
「さながら大名行列のようで、別世界を見せられたような驚きはあったものの、自分との境遇の違いを嘆くでもなく、その光景を冷静に眺めていたことを覚えているよ。これがスターさんというものかとね」