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 月刊『明星』の企画で二人が対面したのは、それから10年以上が経ってからのこと。

「互いに人気投票のナンバーワンになったということで対談することになり、何だかよく分からないけど、最後の方で『ところであなた、恋人いるの?』と聞かれたんだ。あの時『いないよ』と答えたのが身の因果。当時の俺は浅丘ルリ子とどうのこうのと言われていたから、適当に『います』とでも言っておけば、その後の展開は変わっていたかもしれないね」

「周りの人からも『お嬢がさみしがっていますよ』なんて言われて、ことあるごとに食事に誘われるようになった。付き合い始めの頃はすごかったよ。誰にも居場所を告げてないのに、どういうわけか行く先々に電話がかかって来る。真夜中に仕事の応援に来てほしいと言われたり、逆に俺が地方で撮影しているとわざわざおしるこを差し入れしてくれたりね。『好きなの』、『結婚しましょう』と、圧倒されるくらいの勢いで、次第に俺もそういうものかなと思うようになった。

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 三人娘と呼ばれた江利チエミと雪村いづみが立て続けに結婚して残るは“お嬢”という状況だったから、ひばりのおふくろさんも婿さんを探すことにシャカリキになっていたんだ」

昭和37年、日活国際会館で行われた小林旭と美空ひばりの挙式 ©共同通信社

「男冥利に尽きるやろ」

 決定打となったのは田岡一雄山口組三代目組長のひと言だった。

 神戸芸能社時代からひばりの興行を手掛け、結婚式にも父親代わりとして出席した田岡氏は母子が絶大な信頼を置く後見役だった。ひばりの母・喜美枝さんとボディーガードを連れて黒塗りの高級車で小林の家を訪ねた田岡氏は有無を言わせずこう告げた。

「天下のひばりが、惚れたと言うとんのや。男冥利に尽きるやろ」

 その後は婚約発表から結婚式に至るまで、すべてが小林の意思とは別の次元で話が進んだという。

「多少の時間をくださいと言うのが精一杯。俺の気持ちにはお構いなしにとんとん拍子でものごとが決まっていった」