1ページ目から読む
3/3ページ目

 結婚してからのひばりは、割烹着を着て台所に入り、自ら献立も立てたが、生まれついての歌姫が主婦を演じ続けることには限界があった。封建的な考えを持つ小林と、一卵性母子と言われた喜美枝さんとの確執も日を追うごとに深刻さを増して行った。

「あたしは芸で生まれ、芸に生きるんです」

 波乱含みだった結婚生活は1年半ほどで終わりを迎える。終止符を打ったのも、やはり田岡氏だった。

「ひばりはどこまで行ってもひばりだ。日本のひばりなんだから、世間の人に返してやれや。お前一人のものにはできないんだよ」

ADVERTISEMENT

 唐突に突きつけられた最後通牒を小林は受け入れざるを得なかった。

 新宿コマ劇場で座長公演を行っていたひばりが離婚を発表したのは昭和39年6月25日。演目はこの日のために作家の川口松太郎が書き下ろした『女の花道』だった。

美空ひばり ©共同通信社

「おっかさん、あたしは一生涯この芸は捨てません。あたしは芸で生まれ、芸に生きるんです」

 ひばり演じる女役者が、親の許しのない恋に破れて改心する場面に満員の客席からどよめきが起こったという。

 離婚直前、体調不良で入院していたひばりを小林が見舞いに行くと、なぜか病室に入れてもらえなかった。ところが、マスコミには小林が妻の見舞いもしない「思いやりのない夫」と書き立てられた。虚無感にとらわれた小林はマスコミの追及から逃れるように海外に飛び1年近く当てのない逃避行の旅を続けた――。

 その後、福岡のホテルで偶然再会した際にひばりが呟いた意味深な言葉や、「艶歌の竜」馬渕玄三やヒットメーカー・叶弦大との出会い、コロムビアレコードから日本クラウンへの移籍背景、ひばりに捧げる鎮魂歌と言われた「惚れた女が死んだ夜は」の創作秘話など、昭和歌謡黄金時代の珠玉のエピソードを小林氏が語り尽くしている。

「小林旭 回顧録」第2回「美空ひばりと俺」は、2023年6月9日発売の月刊「文藝春秋」7月号と「文藝春秋 電子版」(6月8日公開)に掲載される。