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母は余命わずかの元同僚を…「さらってきちゃった」中学生の娘が覚えた“強烈な違和感”

著者は語る 『私が鳥のときは』(平戸萌 著)

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『私が鳥のときは』(平戸萌 著)河出書房新社

「さらってきちゃった」

「さらわれてきちゃった」

 一昨年、氷室冴子青春文学賞大賞を受賞してデビューした平戸萌さんの受賞作にして、本書『私が鳥のときは』の表題作は、こんな不思議なやり取りから始まる。さらわれてきたのは、母の元同僚で余命わずかの重病人のバナミ。母は、彼女をうちで看病すると宣言する。思ってもみなかった中学最後の夏休みの始まりに、蒼子(そうこ)は驚き戸惑うが――。

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「これ、私の実体験がもとなんです。青春をテーマに小説を書こうと思ったとき、当時の出来事や感覚が鮮やかに甦ってきて、ああ、これだと思いました」

 バナミは母より一回り年下でかなり若いが、蒼子から見ればれっきとした大人。なのにわがまま放題で、ちっとも大人じゃない。何か事情がある様子なのに、それをはっきり言わないところも気に入らない。「まじ憂鬱」と、友達にグチをこぼすのが日課になるほど、蒼子はバナミとの生活に苛立ちをつのらせていく。

「強烈に覚えているのは、母――というより大人への違和感です。どんな事情があったにせよ、他人への理由なき献身は、子どもの私には全く理解不能なものでした。かといってその状況を自力で打破する力も権限もない。よく、子どもはしがらみがなくて自由だ、なんて言いますけど、実際には行動範囲も限られているし、知識も経験も圧倒的に乏しい。すごく狭い世界で生きていて、とっても不自由で窮屈。そんな感覚を描きたかったんです」

 平戸さんはそう語るが、作中の蒼子からは、いかにも中学生らしい伸びやかさや明るさが隠しきれずに滲んでいる。そのせいか、いつしか距離が縮まったバナミと過ごした日々がやがて静かに終わりを告げても、読後感は本書を飾るカバー絵のように清々しい。

平戸萌さん

 そして本書に収められたもう一編、書き下ろし小説の「アイムアハッピー・フォーエバー」では、その青春の輝きは、さらに強さを増し、眩しいほどになってゆく。時をさかのぼって、主人公は中学1年生のバナミ。「マジ最悪」と英語教師に悪態をつく程度に勉強が苦手で、始めたばかりのテニスに夢中。まだ病人でもなく、正真正銘大人ではないバナミが、いきいきと躍動するスピンオフ作だ。

「表題作では、まだ若いのにおばちゃん扱いされ、死にそうな病人として登場するバナミの、元気で幸せだった時代を描いてあげたかったんです(笑)。それから、蒼子や読者からはエキセントリックな変わり者に見えるであろうバナミを、そのままにしておきたくはなかったというのもあります」

 平戸さんは、作中の人物は誰であれ、どこにでもいる普通の人として自然に描きたいという。そして彼らが普通に生きていく中で時々やってくる、小さなきらめきや奇跡のような一瞬を、見逃さずに丁寧に拾いあげたいのだと。

 例えば、バナミと仲間たちが、ひょんなことから広い屋敷に1人で暮らす老婦人・英子(えいこ)と親しくなり、彼女の長年の思いを叶えようと奔走する一幕がある。

「そんなことありそうだなって思える、ぎりぎりのエピソードですよね。これはつまり、英子さんにも、バナミや蒼子のように、不自由で、未成熟な、まだ何者でもなかった少女時代があって、その頃の心がちょっとでも残っていたから、年齢を超えた交流が生まれたわけです。きっと、同じものが私の中にも――なんて言ったら言い過ぎでしょうか(笑)。でも、このあたりの感覚が、これからも、私の創作の核になっていきそうな気がしています」

ひらともえ/1983年、神奈川県生まれ。2014年度「オーバー・ザ・カウンター」、18年度「春の朝」(安住蕗子名義)ですばる文学賞最終候補。22年「私が鳥のときは」で第4回氷室冴子青春文学賞大賞を受賞。23年本書でデビュー。

私が鳥のときは

私が鳥のときは

平戸 萌

河出書房新社

2023年11月30日 発売

母は余命わずかの元同僚を…「さらってきちゃった」中学生の娘が覚えた“強烈な違和感”

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