『平場の月』(朝倉かすみ 著)

 リリー・フランキーが五十を過ぎて独身であることについて、樹木希林は「分別を持ったら、結婚なんてバカバカしいことできないわよ」と言った。リリーは素早く「希林さん、おれ、今でも分別ついてないですよ」と返したという。長編小説『平場の月』は五十歳男女のラブストーリー。十代、二十代が聞けば「ありえない」と言うかもしれないが、俳優で言えば、佐々木蔵之介や石田ゆり子が大体このライン。「あるんだよ」とまず力強く言いたい。

 ややしなびたヒロインが須藤葉子、ヒーローが語り手となる青砥健将。中学校の同級生で、ともにバツイチ、東京から地元へ戻って働いている。地元とは朝霞、新座、志木あたり。東京まで通勤圏ではあるが、停滞した町で、みな平凡な人生……つまり「平場」に自足している。パッとしないまま終わる可能性が高かった二人が、病院の売店店員と検査に来た患者として出会い、何かが動き出す。

 しかし、すでに須藤葉子が死去していることが、一章で提示されている。不在な者を話題に物語が展開するのは、朝倉かすみの代表作『田村はまだか』を想起させ、あれも同級生の話だった。四十だった彼らの十年後と考えてもいいだろう。三十五年ぶりの再会。男子は女子にコクった過去あり。「その場しのぎでも『ちょうどよくしあわせ』になって、おたがいの屈託をこっそり逃す」目的で始まった二人だけの「互助会」が、やがて恋と呼べる関係に。

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 須藤が中学時代から「太かった」(デブの意味ではない)、須藤が窓から顔を覗かせたのを目撃した青砥が、のち「おまえ、あのとき、なに考えてたの?」と問うた答えが「夢みたいなことをね。ちょっと」だった理由が、ぎこちないつき合いの流れで分かってくる。お互いを名字で呼び合うこと、ロマンスっぽくないぶっきらぼうなやりとりは、分別はつかず、過去だけが重く積み重なり、年だけ食った男女ならではのもの。若者には味わえない、発酵した大人の味わいだ。

 ガンが発覚した須藤に、青砥がついに求婚する。安手の恋愛小説なら、ここが涙涙のラストシーンで、ファンファーレが響くところだ。だが、須藤は違う。冴えた目での返答が「それ言っちゃあかんやつ」。「なんだ、その関西弁」と、青砥でなくとも思うだろう。以後、須藤は一切の関係を断ち切り、すべての謎が解けるラストになだれ込む。平場にも小さな月が出る。これが恐らく最後の恋であろう。それだけに泣ける。

 須藤と過ごした日々。ヤオコーの駐車場、須藤の部屋、泣きぼくろ、ささいな仕草、威張って呼ぶ「青砥」の声、そして「わたし、いつも、青砥を見てたよ」と、書き写すだけで泣けてくる。私は青砥か。たぶん青砥なんだろう。朝倉の精密で気持ちが入った筆は、読者を一種、共犯関係にさせる。二人の思いが忘れがたく心に降り積もって行くのだ。

あさくらかすみ/1960年、北海道生まれ。2003年「コマドリさんのこと」で北海道新聞文学賞、04年「肝、焼ける」で小説現代新人賞、09年『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞。『幸福な日々があります』『てらさふ』『乙女の家』『満潮』など著書多数。

おかざきたけし/1957年、大阪府生まれ。書評家、古本ライター。国語教師、雑誌編集者を経て文筆業。『人生散歩術』『人と会う力』。

平場の月

朝倉かすみ

光文社

2018年12月13日 発売