『なぜ人と人は支え合うのか』(渡辺一史 著)

 本書は障害学入門というべき書物だ。障害者と健常者、てゆうか、自分を障害者だと思っていないひとびと、という方が正確だが、違う世界に暮らしている異文化だ。接触がなければ、相手が何を考えているか、わからない。本書は障害者本人が書いた本じゃない。だからこそ、障害のある世界とない(と思い込んでいる)世界とをつなぐ通路になるような本なのだ。渡辺一史さんは、さしずめ異文化間通訳のようなものだろう。

 なぜって著者の渡辺さんにしてからが、障害者ってどんなひとたちか、全然知らなかったからだ。何がやりたいかもよくわからないフリーター、おっとフリーライターだった渡辺さんを変えたのが、自立生活を送る全身性障害者、鹿野靖明さんとの出会いだった。その経験をもとにして書いた『こんな夜更けにバナナかよ』(文春文庫)が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。タイトルからただちにわかるのは、自分勝手な障害者とそれにふりまわされる介助者との関係だ。

 本書には、鹿野さんだけでなく、天畠大輔さん、橋本操さん、新田勲さん、海老原宏美さんなど、カリスマ障害者というべき魅力的な人物が実名で登場する。彼らは強烈な自己主張の持ち主だが、それというのも自己主張しなければ生きていけないからだ。その彼らが魅力的に見えるのはわがままや強さだけでなく、弱さ、ずるさ、情けなさなどをとりつくろわずにさらけ出すからだ。ボランティアの一人はそんな鹿野さんを「ぶざまでかっこいい」と表現する。

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 本書は「障害者は生きるねうちがない」と考えて大量殺人を行った相模原事件に背を押されて書かれた。植松聖被告は自分を「障害者ではない」と思っているようだが、どんなひとにも、老いは確実に訪れる。「そんなにしてまで生きなければならないのか」と言われる存在にいつか誰もがなる。

 考えてみたらいい、自分が老いて誰かにケアされるとき、排便の介護を受けながらとりつくろっていられるだろうか? 助けなしに生きていけないひとたちは、ブラックホールのように他のひとびとの善意を引き出す。「ちっ、めんどくさいなあ」と思いながらでも。だから障害者の存在は、それ自体が贈与なのだと渡辺さんはいう。

 思えば誰もが、あかんぼの時には寝たきり垂れ流しで、大声で泣いて自己主張していたはずだ。そして老いるとは、誰もが中途障害者になるということだ。本書にも登場する脳性麻痺の車椅子生活者、小山内美智子さんは「障害者の経験は高齢社会の財産」という。わたしは障害者のひとたちとつきあいが増えたせいで、自分が老いることが怖くなくなった。本書は障害者と共にある豊かな世界への、格好の案内書だ。障害者が権利を獲得してきた歴史への目配りもよい。

わたなべかずふみ/1968年、愛知県生まれ。ノンフィクションライター。2003年に刊行した『こんな夜更けにバナナかよ』で大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を受賞。その他の著書に『北の無人駅から』がある。

うえのちづこ/社会学者。専門は女性学、ジェンダー研究。高齢者の介護も研究対象に。『ケアの社会学』など著書多数。上野千鶴子 上野 千鶴子