つば九郎が亡くなった——。
突然の訃報に、誰もが言葉を失い、気持ちの整理がつかないまま、彼の功績に思いを馳せ、哀悼の意を表していることだろう。彼は「スワローズのマスコット」という範疇を超え、プロ野球ファンにとって愛すべき存在だった。彼の訃報が、ネットニュースで大々的に取り上げられている現状こそ、彼が多くの人に愛されてきた証拠だ。僕もまた、心が千々に乱れる中で、こうしてパソコンに向き合っている。
この文春オンラインには「文春野球」と銘打たれた名物コンテンツがある。12球団それぞれを愛するライターが一堂に会し、自分が応援するチームへの偏愛コラムを通じて、「誰が一番面白いコラムを書けるのか?」を競い合うものだ。
僕は「ヤクルト監督」として文春野球に参戦し、たくさんの文章を書かせてもらった。当初はライター同士の熾烈な戦いが繰り広げられていたが、やがて「助っ人の参戦OK」となり、本職のライター、コラムニストだけではなく、アイドル、タレント、選手自身がコラムを書く、異種格闘技戦の様相を呈するようになった。
熾烈な戦いが繰り広げられていた頃、ふと「つば九郎に文春野球に参戦してもらおう」と考えた。つば九郎とは面識がない。どうやってアプローチをしたらいいのかを考えた結果、つば九郎とは旧知の間柄である伝説の投手・伊藤智仁さんに相談をした。当時、智さんは長年慣れ親しんだスワローズのユニフォームに別れを告げ、富山サンダーバーズの監督を務めていた。
つば九郎にメッセージを送ると……
今でもハッキリと覚えている。富山に試合を見に行ったときのことだ。その日、単身赴任中の智さんの自宅マンションに泊めてもらった。缶ビールを呑みながら、文春野球の話題になり、そのとき「つば九郎に執筆してもらいたいのだけれど……」と相談をした。すると、智さんは「わかった、本人に聞いてみようか」と言い、携帯電話を取り出してつば九郎にメッセージを送る。ものの数分もしないうちに、返信が届いた。
「ぜひかかせてもらいます!」
ほんの数分の出来事にあっけに取られていると、「つば九郎、書いてくれるって」と何事もなかったかのように智さんは言った。