読者の胸を打ったつば九郎の文章

 そして、つば九郎は見事なコラムを書いてくれた。彼が書いてくれたのは「おとももち~のぐっち」についてだった。無粋を承知で説明させてもらうと、「お友だちの坂口智隆」についてのコラムである。そして、このコラムは読者からの圧倒的な評価を得た。プロのライターが書くどんな文章よりも、読者の胸を打ったのだ。

 初めての文春野球コラムにおいて、つば九郎はこんなことを書いている。

〈こんかいは、だいすきな、おとももちの~ともひとさんから、さいきんつばくろうが、ひつだんなどで、おちょうしもんだと、くれーむがきての、さんかとなりました。

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 いまのやくるとすわろーずのことを、かこうとおもって、かんがえました。〉

 説明するまでもないけれど、「ともひとさん」とは伊藤智仁である。それ以降、折に触れてつば九郎に原稿を依頼し、そのたびに彼とやり取りをした。選手への気遣いを大前提としつつ、読者に対してどんなアプローチをすればいいのかを考えた上で、丁寧かつ、めちゃくちゃハートフルな文章が送られてきた。その原稿を真っ先に読めることが本当に嬉しかった、幸せだった。

つば九郎 ©文藝春秋

 その年の暮れ、一年の総決算であり、数々の表彰が行われる「文春野球アワード」にも、つば九郎は智さんとともに出席してくれた。つば九郎が登場した瞬間、会場に詰め掛けた多くの野球ファンは歓喜していた。「文春野球ヤクルト監督」として、ステージ上からその光景を見つめていた僕もまた、感無量だった。

 このときも、「ともひとさんのためなら」と言い、さらに「どくしゃにおれいをいいたい」という思いで会場まで駆けつけてくれたのだ。つば九郎の漢気を感じた瞬間だった。

つば九郎のいないシーズンが始まる……

 もうすぐ2025年シーズンが始まる。それはすなわち、「つば九郎のいないシーズン」の始まりでもある。ぽっかりと空いた大きな穴は決して埋まることはないだろう。大きな喪失感を抱いたまま、選手たちも、そしてファンも新たな戦いに臨むことになる。

 訃報を受けて、文春野球でつば九郎が書いた数々のコラムを読み返してみた。知らず知らずのうちに瞳は潤み、モニター画面が滲んでくる。2018年10月20日配信の記事には、こんな一節がある。

〈ちーむをだいひょうして、ここでいわせてください。

 1ねんかん、どんなときも、きゅうじょうにかけつけて、おおきなせいえんを、ありがとうございます。みんながいなかったら、こころがおれてたこともあったでしょう。はげまし、ゆうきづけてくれて、こころからかんしゃしてます。

 どんなにけわしいみちも、どんなにむずかしいことも、どんなにつらいときも、いっしょにたっせいしたときのよろこびには、ともにあゆんだかずだけ、しあわせがある。

 らいねんこそ、ともに、つばさをひろげて、ちょうてんにまいあがって、みたことのないすばらしいけしきを、いっしょにみにいきましょう。

 みんなのえがおがみたいから。みんなえみふる。〉

 クライマックスシリーズで、ジャイアンツの菅野智之にノーヒットノーランを喫した直後のコラムだ。あの日、屈辱感に満ちたまま神宮球場を後にした。それから数日が経ち、つば九郎からこのコラムが届いた。上記引用箇所を読んで、心から勇気がわいてきた。

つば九郎 ©文藝春秋

それでも、選手もファンも歩き続けなければならない

 つば九郎の言葉は、僕たちにとっての慰藉であり、激励であり、福音だった。そのつば九郎が天に召された。これからは、つば九郎の言葉に慰められ、元気づけられることなく、歩んでいくしかない。心の喪失感は大きい。決して癒えることはないだろう。それでも、選手もファンも歩き続けなければならない。「ともに、つばさをひろげて」、「みたことのないけしき」を見るために。見たことのない景色のその先には必ずつば九郎がいるはずだ。

 つば九郎に心配させないためにも、選手たちには全身全霊を傾けたプレーを期待したい。そしてファンである僕たちも、つば九郎から学んだ野球の楽しみ方、推しチームの応援の仕方を胸に抱いて選手たちのプレーを見守りたい。

 僕はかつて、「つば九郎を野球殿堂に」と書いたことがある。今回の訃報を受けて、その思いはさらに強まった。涙では見送りたくない。つば九郎の言葉にあるように、「えみふる」で送り出したい。どうもありがとう。本当にありがとう。心からありがとう、つば九郎——。

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