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山本 一郎
2018/04/05

50代60代のビジネス老兵はどこに消えるのか

データサイエンスの現場にさっぱり中高年がいない件で

 先日、情報法制研究所という研究室で東京大学以下各大学のデータサイエンスの方面で見本市のような発表会があったのでご一緒してきました。といっても、私自身が取り組んでいるのは研究というよりは企業さんのデータ解析の方針などのコンサルティング業務が中心なので、画期的な発表ができるような立場にはおらんわけなんですが、参加者の熱意あるプレゼンテーションを見ていると非常に臨場感があって、ワクワクするものがあります。

「データを見て判断する側」「データを作り上げる側」

 で、会場を見回してみると、見事な断絶があることに気づくわけですよ。45歳の私はまさに狭間の世代で、その上の世代は「データを見て判断する側」、下の世代は「頑張ってデータから情報を作り上げる側」みたいな構造。まあ、昔で言えば「俺は判断する人、若い奴は動く人」という感じでしょうか。古き良き年功序列、偉大なるピラミッド型の奴隷労働の世界ですかね。でも、世の中はデータを見て判断するデータ資本主義全盛で、エビデンス重視となり、何事にも数字の裏付けが必要だから日本にはデータサイエンティストが全く足りないよ、これから人工知能の時代に突入するのにそれを担う若い人が少ないからどうにかしろ、と大合唱になっています。実際、データに詳しい若い衆を何万人育てろ、みたいな無茶なオーダーがあったりするんですよね。お前ら、十年ぐらい前までは「日本にはSEが何十万人足りなくなる」みたいなことを言っていませんでしたか。

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 ちょっと待てよ、と思うわけです。そのデータを集めたり、分析したり、情報にしたりする下働きは若い人、そのデータやデータから作られた情報を見て判断するのは偉い人、というのは誰が決めたんでしょう。

足りないのはデータサイエンティストではない

 実際、データサイエンスの世界で言うならば、投資界隈でもICT業界でもデータは主に現場の仕事を民主化するために利活用できるという話が大前提であります。というのも、例えばいままでは企業の売上データは本社にいる営業部門やマーケティング部門が握っていて、各店舗の仕入れ担当には教えられておらず、本社からの指示で店舗が仕入れをするというのが一般的な仕組みでありました。しかし、データサイエンスが本当に意味があるのは「各店舗のスタッフが、その店で売れそうなものを仕入れられるようにデータを利活用できるようにすること」であって、簡単に言えばいちいち本社決済などせずともエビデンスに基づいて店舗ごとに機動的な仕入れができるようにするのがいいよねという話であります。

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 つまり、足りないのはデータサイエンティストではなく、データを活用するために必要な仕組みや知恵であって、極論を言えばデータを扱えなくて判断も遅い老兵は死ねという、遠回しな死刑宣告であることに誰も気づいていません。もう現場のことは現場で根拠になる数字を出して判断するから、ガラス張りの役員室で全体方針決めて一カ月後の全体報告会で発破をかければそれで終わりというようなクソ会社も、部下が前日に徹夜して作った程度の資料を見ていいの悪いの判断してうまくいったら俺の判断の手柄、悪かったらお前ら部下の責任というようなダメ役員もクズ管理職も全部死んで綺麗さっぱり意志決定しようというのがデータサイエンスの目指す民主的で本来の美しい姿だと思うんですよ。

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