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鳥山明が7年連続で成し遂げた“ある偉業”とは? 「マンガを描くことが大好きだった」ことを示す驚きの数字

鳥山明が7年連続で成し遂げた“ある偉業”とは? 「マンガを描くことが大好きだった」ことを示す驚きの数字

2024/03/13

genre : エンタメ, 社会

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 原作の『Dr.スランプ』は1984年39号で連載を終えると、わずか3カ月後の51号から『DRAGON BALL』の連載がスタートする。

『DRAGON BALL』

 連載開始からの5号のうち3回が巻頭カラー(残り2回は掲載順2番目)という待遇を見ても、編集部の期待の大きさがうかがえる。事実、この作品で鳥山明の名声は世界的なものとなっていくのだが、しかし連載開始当初は人気が伸び悩んだ。

 そもそもこの時期には、まだアニメの『Dr.スランプ アラレちゃん』が放映中(~1986年2月19日)であり、1985年7月には「東映まんがまつり」で映画『Dr.スランプアラレちゃん ほよよ!夢の都メカポリス』が劇場公開されている。まだ「アラレちゃん熱」の冷めやらぬ時期だったのも要因だろう。新作『DRAGON BALL』を歓迎するよりも、『Dr.スランプ』を懐かしむ声が高かったのも事実だ。

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はじめて神龍を呼び出す頃には、掲載順番は2ケタに

「少年ジャンプ」では人気の高い作品ほど掲載順番が早くなる傾向があり、それが「イコール人気順」というわけではないものの、読者からすれば「掲載順番は作品人気を計るバロメータ」ともいえる。編集部の期待を一身に受けて開始した『DRAGON BALL』であったが、徐々に「少年ジャンプ」での掲載順番を下げていった。ドラゴンボールを7つ集め、はじめて神龍(シェンロン)を呼び出す頃には、掲載順番は2ケタにまで落ち込んでいた。

筆者作成

 このあと『DRAGON BALL』は、「ドラゴンボールを7つ集める冒険活劇」から「バトルマンガ」へとシフトチェンジする。いわゆる“テコ入れ”である。

 これと時を同じくして、「少年ジャンプ」では大きなアクシデントが起きていた。それが『キン肉マン』の休載だ。作者・ゆでたまごの嶋田隆司(原作担当)が椎間板ヘルニアで入院を余儀なくされ、『キン肉マン』は1985年38号から49号まで休載することになった。この間、『キン肉マン』は過去掲載話を再録するかたちとなる。

『DRAGON BALL』で天下一武道会が開始され、『キン肉マン』が休載期間に入った時期の両作品の掲載順をまとめたのが以下の表だ。

筆者作成

 それまで『北斗の拳』と『キン肉マン』のバトルマンガの二大巨頭が「少年ジャンプ」を牽引していたが、この時期をターニングポイントとして「少年ジャンプ」のバトルマンガ枠は『DRAGON BALL』へと“政権交代”していったのである。

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