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鳥山明が7年連続で成し遂げた“ある偉業”とは? 「マンガを描くことが大好きだった」ことを示す驚きの数字

鳥山明が7年連続で成し遂げた“ある偉業”とは? 「マンガを描くことが大好きだった」ことを示す驚きの数字

2024/03/13

genre : エンタメ, 社会

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 2024年3月1日、『DRAGON BALL』や『Dr.スランプ』などのメガヒット作品を生み出したマンガ家の鳥山明(68)が急性硬膜下血腫のため亡くなった。突然の訃報に、国内だけにとどまらず世界中から弔意が表明された。謹んで哀悼の意を表すとともに、あらためて氏の多大な功績を振り返りたい。

若き日の鳥山明

 鳥山明の連載デビュー作『Dr.スランプ』は、掲載誌「週刊少年ジャンプ」(集英社)で人気を博してアニメ化された。

「テレビ局と製作会社主導のアニメ化には強い不信感を持っていた」

 しかし、この頃の「少年ジャンプ」の編集部は、掲載作品のアニメ化に対して消極的な姿勢であった。当時の編集長・西村繁男は、自著『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』(幻冬舎文庫)のなかで次のように述べている。

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「『少年ブック』時代の苦い経験から、わたしはテレビ局と製作会社主導のアニメ化には強い不信感を持っていた。

(中略)

 わたしは漫画家の著作権と雑誌の編集権を徹底しなければ、アニメにする必要なしというスタンスだった。わたしの意図するところを的確に理解したのが『Dr.スランプ』の担当者である鳥嶋で、契約条項を細部にわたってチェックし、台本の直し、キャラクターの修正要求と、漫画家が納得できるアニメ化のシステムを作りあげていった」

 近年話題になりがちな「マンガ原作のメディア化」における著作権および編集権が、いまから40年以上前からすでに問題視されていたことがわかる。ともあれ、『Dr.スランプ』のアニメ化はトップダウンで決定してしまう。「少年ジャンプ」掲載作品がアニメになるのは、『侍ジャイアンツ』(原作:梶原一騎、作画:井上コオ)以来、じつに7年半ぶりのことであった。

 このような経緯で1981年4月からフジテレビ系列でTVアニメシリーズ『Dr.スランプ アラレちゃん』の放映がスタートした。「少年ジャンプ」本誌でもアニメをバックアップするべく、1981年29~31号の3週連続で「創刊13周年記念 Dr.スランプ うほほ~いスペシャル」と題し、『Dr.スランプ』をフィーチャーした巻頭特集を組む。やがて『Dr.スランプ アラレちゃん』は空前の大ブームを巻き起こし、同年12月16日に放映された「地獄の使者チビルくん」の回では36.9%もの視聴率をマークしたのである。

「Dr.スランプ」

 以降、「少年ジャンプ」作品は続々とアニメ化に踏み切り、『キン肉マン』『キャプテン翼』『北斗の拳』など数々の作品が成功を収めていった。現在まで続くジャンプのメディアミックス戦略は、『Dr.スランプ』での成功体験が契機となっているわけだ。鳥山作品が存在しなければ、その後の日本のアニメ史も大きく変わっていたことだろう。

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