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連載明治事件史

「わたし、本当に困ります」“日本初のミスコン”に優勝した14歳の美少女…人生を狂わせた“写真”の背後にあるもの

「美人写真コンテスト」事件#1

2024/03/31
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 美人寫眞第二次審査の結果

 

 先月29日の第2次、すなわち最終審査で全国3等までに当選した美人写真は次の3名と確定した。

 

1等 小倉市(現北九州市小倉区)室町、直方四女 末弘ヒロ子(16)

2等 仙台市東四番町(現仙台市青葉区)、皈逸娘 金田ケン子(19)

3等 宇都宮市上河原町 土屋ノブ子(19)

 4~12位までの住所、氏名、年齢も記載された。以後の報道で新聞によって名前の表記が違い、時事新報でも時に表記が異なるが「末弘ヒロ子」で統一する。

 1~3等の写真は後日本紙の付録として掲載するほか、第1次審査を通過した215人を網羅した写真帖を刊行するとした。1等の末弘ヒロ子については別項で大きな応募写真入りで報じられた。

「美人写真コンテスト」1等の末弘ヒロ子の応募写真(『幕末・明治 美人帖愛蔵版』より)

日本一の美人となった「末弘ヒロ子」

 日本第一美人 末弘ヒロ子嬢 賞品授与、嬢の音容

 

 本社が挑戦者であるシカゴ・トリビューン社に送って世界の競争に加わらせようとする日本一の美人は福岡県小倉市長、末弘直方氏の令嬢ヒロ子と確定した。

 

 本社は賞品を本人に授与するため、2日、記者に東京の親類宅を訪問させた。案内された部屋にほどなく入ってきたのはヒロ子の義兄であるこの家の主人だった。記者が審査の結果、ヒロ子が1等になったことを伝え、記念の賞品を授与したいと言うと、義兄の顔はたちまち驚きと喜びに満たされた。

 

「ヘエ、全国1等に……。これは意外です。事実でしょうか……。妹が聞きましたら、さぞ驚くことでしょう。イヤ、びっくりしましょう。実は先ほど、あなたからの電話で私に『家にいてくれ。ヒロ子も外出を見合わせてくれ』との知らせだったので、あるいは提出した写真のことではあるまいか。新聞によると、審査も済んだそうだから、あるいはヒロ子が3人のうちに入ってでもいるのではあるまいか。イヤイヤ、そんなはずはない。ハテ、どんなご用かしらといろいろ想像していたところでした」

 

 記者が賞品を本人に渡したいと言うと、義兄は「それではちょっと呼んでまいります」と部屋を出て行った。待っていると、部屋の外でかすかにきぬずれの音がして義兄、姉、姉の後ろに付き添いながら面はゆそうな伏し目で静かに入ってきたのが写真の主のヒロ子。義兄は「これがヒロ子で」と紹介する。

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 ここからの描写は記者の高揚ぶりをよく伝えている。目の前に現れた実物の「末弘ヒロ子」の姿は――。

「写真からそのまま抜け出して、予想よりも美しかった」

 記者の指先がふるえていたのは、崇高な気分がしたほか、写真の主がはたして写真通りかを疑ったからだが、いま写真からそのまま抜け出して、その立ち座る姿は予想よりさらに何段階も美しさが加わっており、本社の計画が全く成功したことを証明した。

 

 記者があらためてヒロ子に1等当選を告げ、記念に目録と賞品を差し出すと、ヒロ子は「マア」と一言叫んだだけで、姉が「誠に思いも寄りませんでした。ご覧の通りのふつつか者が美人などとは恥ずかしい次第でございますが、せっかくのご好意でございますからお受けを致させますでございます」と代わりにあいさつした。

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