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一志 治夫
2018/04/13

海外の寿司と「江戸前鮨」との決定的な違いとは

 これは実に恐ろしい事態だ。言うまでもなく、鮨は魚介を直接手で握る食文化である。200余年に及ぶ歴史のなかで鮨文化を育んできた日本人は、生モノの旨さの裏に潜むリスクを身体で知っている。衛生管理にもぬかりがなく、職人たちは工夫と進化を重ね、また厳しく先輩たちからたたき込まれ、「安全な握り鮨」である「江戸前鮨」を今日まで繋いできた。

『旅する江戸前鮨 「すし匠」中澤圭二の挑戦』(一志治夫 著)
『旅する江戸前鮨 「すし匠」中澤圭二の挑戦』(一志治夫 著)

 長らく江戸前鮨の技を探求してきた当代随一の職人、「すし匠ワイキキ」の中澤圭二氏は、江戸前鮨をこう定義する。

「一言で言えば、シャリに合うように魚を手当てすること。魚に塩をあて、昆布じめにしたり、漬けにしたり、煮付けたりする。ときに火も通す。それが新鮮な魚を単に酢飯の上にのせて出す『海鮮寿司』との一番の違いです」

 つまり、さまざまな手当をすることで、素材の旨味を最大限に引き出しつつ、安全な食に変えるのが江戸前鮨の技術。それが刺身を酢飯にのせただけの「海鮮寿司」との違いだ。もっと言えば、酢飯すらつかわず、ご飯の上にのせただけの鮨もどき、まで海外ではある。

 中澤がハワイで出店準備を始めたとき、現地の保健所から「手袋をして握れ」という指導が入った。中澤は通訳を通じて、担当官をこう諭したという。

「うちは江戸前鮨だから大丈夫です。海鮮寿司ではないのです。江戸前鮨は塩をあてて腐敗の水分をとるし、手当をする江戸前鮨は安全な食べ物なんです」 

 最終的に中澤は手で握ることを許された。が、この先、どうなるかはわからない、というのが中澤のいまの思いだ。

東京・四ツ谷「すし匠」時代の中澤さんの握り。中とろ ©古市和義

レバ刺し事件と同じ運命をたどらないために

「いま日本で海鮮寿司をやっている人は、もともと江戸前鮨をやったりして、修業をしていて、生の危険性がわかっているからいいんです。でも、海外に鮨が広がったことで、修業をしていない人が見よう見まねで鮨を握るようになっている。この魚は危ない、危なくないという見分けができない人が握るほど危険なことはない。かつてレバ刺しで死者が出て、何百軒という店で禁止になったように、鮨も紙一重のところにいると思う。もし、誰かが死んだら、『生禁止、手袋着用』となりますよ。そうしたら、もう、鮨は終わります」

 そんな危うい状況に対して、中澤は次のようなユニークな提案をする。

「いまのうちに海鮮寿司と江戸前鮨を分けておかないといけない。そして、ゆくゆくは、『江戸前鮨』という資格をとらなきゃいけないようにする。実地試験と学科試験を実施して、この人は修業をしていて安全に握れる人です、江戸前鮨を名乗っていいですよ、とお墨付きを与える。そうでもしないと、先々、レバ刺しと同じ運命をたどります」

「すし匠」中澤圭二さん ©熊谷晃

 海外で急速に鮨文化が広がったために、日本人の握る本物の鮨までが淘汰されるとしたら、こんな悲劇はない。新刊『旅する江戸前鮨 「すし匠」中澤圭二の挑戦』で詳述したが、200余年続いてきた江戸前鮨の技術は、魚介を美味しくする、世界に類を見ないユニークな食文化だ。江戸っ子たちが愛し、獅子文六、池波正太郎、魯山人らが活写してきた明治から昭和にいたる鮨文化の変遷には目を瞠るものがある。その江戸前の技術をもって、中澤がどう難度の高いハワイの魚を制し、ローカルな食材の探求のなかから新しい鮨をつくり出したかは、ぜひ本書をお読みいただきたい。日本人が守り続けてきた食文化の粋、それが「鮨」なのだ。

旅する江戸前鮨 「すし匠」中澤圭二の挑戦

一志 治夫(著)

文藝春秋
2018年4月12日 発売

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