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 宮﨑駿が1982年に漫画「風の谷のナウシカ」の、イメージの源泉の一つとしたのが「デューン」だったことは以前から指摘されてきた。アニメーション研究家・叶精二氏の著書「宮崎駿全書」によれば、「ナウシカ」の初期案である「ロルフ」「風使いの娘ヤラ」の舞台は一貫して砂漠でイメージボードには、ガスマスクをかぶり砂漠を往く剣士、砂漠を走る巨大な芋虫「サンドオーム」などが描かれており、「明らかに(「デューン」の)影響が見て取れる」としている。毒ガスを吐く菌類の森=腐海という過酷な自然の中で、大国間の抗争に翻弄されつつ生きる民衆の間で語り継がれてきた「青き衣の者」「白い翼の鳥の人」という伝承。そして戦乱の最中、その伝承を体現するかのように登場してきた少女ナウシカ――。生命にあふれた腐海と不毛な砂漠という対比はあるが、「ナウシカ」の物語構造には「デューン」と重なるところが多い。

漫画版「風の谷のナウシカ」 徳間書店刊

 宮﨑アニメには「ルパン三世 カリオストロの城」「魔女の宅急便」「ハウルの動く城」などの原作付き作品が多く、「君たちはどう生きるか」も、物語の骨格はアイルランド人作家のファンタジー「失われたものたちの本」からの影響が濃い。宮﨑駿の創造性は、作品自体を無から造り上げることにあるのではなく、自らが影響を受けて土台とした作品から旅立ち、まったく異なる境地へとたどり着くまでの長い長い道のりと、その到達点の高みによってこそ測られるべきものなのだ。

 では、「デューン」を出発点と見なした時に明らかになる映画版と漫画版、それぞれの「ナウシカ」の到達点はどのようなものなのか。

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高畑勲は「30点」と酷評

 宮﨑駿は1982年から漫画「風の谷のナウシカ」の連載を始めたが、翌年にはそれを中断して映画版の制作に入り、ちょうど40年前の1984年3月に公開にこぎ着けた。当時、プロデューサーを務めた高畑勲監督は「こういう映画があたらなくては、どんな映画があたるのか」とエンターテインメントとしての映画版の出来栄えを絶賛しつつも、「宮さんの友人としてのぼく自身の評価は、三十点」と酷評した。その理由として高畑は「ぼくとしては『巨大産業文明の崩壊後千年という未来から現代を照らし返してもらいたい』と思っていたんですが、映画はかならずしもそういうふうになったとは言えない」としている。

 高畑の言葉はやや抽象的だが、「デューン」と映画版「ナウシカ」を比較すればその意味は明らかだ。当時のキャッチコピー「少女の愛が世界を救う」が示すように、映画版「ナウシカ」は、自然を愛する少女が生まれ持った正体不明の不思議な力で自然との調和を取り戻し、風の谷の人々を救うという救世主譚以上のものではない。

「デューン」が「聖書」という人類の歴史に最も影響を与えてきた物語を相対化し、救世主譚自体の脱構築を目指したことに思いを致せば、映画版「ナウシカ」は出発点の「デューン」よりもむしろ後退している。確かに「王蟲」や「腐海」の描写は単調な砂漠と比べて圧倒的に豊かだが、その物語的な役割は「自然の環境浄化力の強調」という域にとどまっており、巨大な「砂蟲(サンドウォーム)」を頂点とする惑星単位の生態系の緻密な設定・描写がある「デューン」に比べて特に秀でているわけではない。

 単なるエンターテインメントに留まらない「現実世界を相対化するための新たな視点」を求める受け手にとっては、映画版「ナウシカ」は物足りない作品と言わざるを得ないのだ。宮﨑監督は当時、高畑の評価が掲載された書籍を怒り狂って引きちぎったというが、激情の奥底には「作品の弱点を的確に突かれた」という苦い思いがあったのではないか。

 宮﨑監督が「映画を作っている時は、もう連載を続けられないだろうと思っていた」という心境から一転して、映画版の公開から間を置かずに漫画版の連載を再開したのは、高畑からの手荒い「叱咤激励」が功を奏した面もあったに違いない。

宮﨑監督 ©文藝春秋

 その後も10年間にわたって描き継がれた漫画版「ナウシカ」は終盤、驚くべき勢いで映画版とは隔絶した天空の高みへと駆け上がっていく。映画版で、自然の偉大さと自己治癒力の象徴となっていた腐海は、実は「滅び去った文明が、自ら汚染した環境を浄化するために創造した人工の生態系」だったことが明らかになる。ナウシカたち現生人類も汚染された環境の中で生きられるよう遺伝子レベルから手を加えられた存在であり、浄化された環境の中では血潮を噴きだして死んでしまうのだ。スタジオジブリの鈴木敏夫氏が「映画を見て感動した人への裏切りでは」と抗議したほどの衝撃の展開だ。

文藝春秋

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映画「ナウシカ2」を“危機の時代”が求めている