なぜ漫画版「ナウシカ」は、希望に満ちたエンディングで大ヒットした映画版とはまったく異なる物語になってしまったのか。漫画連載当時、ジブリのプロデューサー・鈴木敏夫氏は宮﨑駿監督に「映画を見て感動した人への裏切りでは」と抗議したという。サブカルをテーマとする評論家としても有名な朝日新聞の太田記者が、原作漫画「風の谷のナウシカ」の謎、そして、宮﨑駿の生命観に迫る第2弾を一部転載する。(第1弾はこちら)
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漫画版「ナウシカ」の“裏切り”
いったい、この世界はこれからどうなってしまうのか……」。1994年に完結して以来30年近く。宮崎駿監督の漫画「風の谷のナウシカ」全7巻を読み終えた人々の多くは、半ば呆然としつつ、そんな思いに囚われてきたのではないだろうか。
1984年に公開された映画版「ナウシカ」の結末には、明快なカタルシスがあった。「風の谷」を襲った危機はナウシカの自己犠牲で回避され、ナウシカ自身も王蟲の力でよみがえる。汚染された環境は巨大な菌類の森「腐海」の力で浄化されつつあることが示され、見る者はナウシカたちとこの世界の行く末に明るい希望を感じつつ、物語体験を終えることができた。
けれども、宮﨑さんが映画版の公開後も足かけ10年にわたって描き続けた漫画版「ナウシカ」はそんな解放感とは対極にある。漫画版では、映画版には登場しなかった「土鬼(ドルク)」という帝国と、クシャナらが属するトルメキア王国の間で戦争が勃発し、ナウシカはクシャナと共にトルメキア軍の一員として従軍する。「ナウシカとクシャナの対決」だった映画版とはまるで異なる展開だ。戦禍が拡大する中、土鬼が造り上げた生物兵器「粘菌」の暴走で世界は破滅の危機に襲われるが、ナウシカにはまったく為す術がない。
さらに、映画版では大自然の偉大さや自己治癒力の象徴のはずだった腐海や王蟲が、漫画の終盤では、滅び去った文明の人々が地球環境を再生するために造り上げた「人工の生態系」だったことが明らかになる。ナウシカたち現生人類も、汚染された環境で生き延びられるようにつくり変えられた「人造人間」であり、浄化された環境では肺から血を吹き出して死んでしまうのだ。雑誌連載当時、鈴木敏夫さんが「映画を見て感動した人への裏切りでは」と宮﨑さんに抗議したほどの衝撃の展開だ。