謎を解く鍵は「庭」にあった
僕は、朝日新聞デジタルでの足かけ2年にわたるインタビュー連載「コロナ下で読み解く 風の谷のナウシカ」(徳間書店から「危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』」というタイトルで刊行中)で、現代の最先端で活躍する18人の論者と共に、この物語の投げかけてくる謎について考えてきた。いや、青年期にリアルタイムで「ナウシカ」の最終回を読了して以来、心の隅には常にこの謎のことがあったと言っていい。漫画「ナウシカ」は単なるエンターティンメントではなく、今を生きる私たちの抱える問題を総体として捉えた物語と感じていたからだ。
30年近くにわたる思索の結果、「謎を解く鍵はここにある」と確信するに至ったのが、単行本第7巻の中盤、ナウシカが巨神兵と共にシュワの墓所へと向かう途中、不思議な「庭」へと誘い込まれる場面だ。「庭」は戦乱で荒れ果てた外の世界から隔離された美しい場所で、滅びたはずの旧世界の動植物たちがおだやかに暮らしていた。巨神兵から発せられる「毒の光」で死に瀕していたナウシカも、庭の主の手当てですっかり回復し、安らぎの中ですべてを忘却しそうになる。
しかし、ナウシカはすんでの所で、それが「相手の心に入りこみ 悲しみとトゲを忘れさせて 下僕(しもべ)にしてしまう」罠であることを見破る。「庭」は環境が汚染される前の動植物の原種や農作物、そして旧世界の文明の音楽や詩の「貯蔵庫」であり、浄化後の世界を再建するために残された種子だった。「庭」は「シュワの墓所」を中心とする地球浄化・再生計画の拠点の一つだったのだ。
庭の主は「汚染のないこの庭の大気は甘くて強い 私が少女(ナウシカ)の身体に何もしなかったら その子の肺は血潮を噴き出していたはずだ」と語る。ナウシカはその直後、汚染された世界に戻るが、身体に不調を来した兆しはない。作中では明示されないが、ナウシカが庭の主によって、「汚染された環境でも清浄な環境でも生きられる新たな身体」へと造り変えられたことは疑いない。「シュワの墓所」や「庭」を造った旧文明の人々は、汚染された環境にも清浄な環境にも適応できる人間を造る技術を有していたにもかかわらず、あえて現生人類を汚染された環境でしか生きられないように造り替えたことになる。
その理由は明らかだろう。「シュワの墓所」や「庭」の創造者たちは、争いを繰り返す現生人類を初めから「汚染された環境下でのみ必要な存在であり、浄化後の世界では滅びて欲しい邪魔もの」と見なしていたのだ。
シュワの墓所は土鬼に対して「生命をあやつる技術」の供与を行っていた。その目的の一つは現生人類たちに、超技術の争奪を巡る戦争を繰り返させることにあったのだろう。戦争が引き金となって腐海が爆発的に拡大する「大海嘯(だいかいしょう)」が起これば、それは結果的に、地球の浄化を促進することにもつながるからだ。ナウシカたち現生人類も墓所の「地球浄化計画」の構成要素であり、争いを繰り返すよう仕組まれた存在であることになる。
一方、「人類はおだやかな種族として新たな世界の一部になるだろう」「人間にもっとも大切なものは音楽と詩になろう」という墓所の主の言葉からうかがえるように、彼らが目指す浄化後の地球とは、徹底的に争いを排除した「静かなる天国」とでもいうべき世界だ。そこに、戦争を繰り返すナウシカたち現生人類が生きるための場が用意されているとは到底思えない。
その証拠に墓所の内部には、人間の胎児が納められた無数の繭のようなものが保存されていた。ナウシカはそれを「私達のように凶暴ではなく おだやかでかしこい人間となるはずの卵」と呼ぶ。墓所との戦いで体が半分にちぎれた巨神兵が、墓所の内部を這いずり回って無数の「卵」をつぶし、墓所の主が青い鮮血を流しながら「ウオンウオン」と泣き叫ぶ様は、あまりにもおぞましく、残酷で、かつ美しい。ナウシカが墓所をためらいなく破壊してしまったのは、「現生人類を亡ぼす」という墓所の真の意図を、自らの体の変化などを通じてあらかじめ洞察していたからではないか。
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太田啓之氏の「《語り残した事は多い》宮﨑駿が描いた『ナウシカ』最後の1コマの真意とは? 知られざる“前日譚”にみる人類の未来」全文は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
《語り残した事は多い》宮﨑駿が漫画版「ナウシカ」に描いた“最後の1コマ”の真意とは?