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《殺し合いを演じて》NHK「シン・仮面ライダー」密着特番で見せた庵野秀明監督の“狂気”とも言える執着、本当の理由とは?

《殺し合いを演じて》NHK「シン・仮面ライダー」密着特番で見せた庵野秀明監督の“狂気”とも言える執着、本当の理由とは?

2023/04/01
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サブカル系ライターとしても有名な朝日新聞の太田啓之記者が、愛情ほとばしる筆致で描いた論考「『シン・仮面ライダー』を解剖する」を一部公開します(「文藝春秋」2023年5月号より)。

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 庵野秀明監督の「シン・仮面ライダー」を、心を震わせながら観た。「『シン・ゴジラ』『シン・ウルトラマン』ほどのヒットは見込めないのでは」との指摘もあるが、そんなことは僕にとってはどうでもよい。庵野監督の「仮面ライダー」という作品への凄まじいまでの愛情とリスペクトとこだわり、他者への絶望と他者へのつながりを激しく求める思いとの間に引き裂かれた自らの内面をぶちまけつつも、それを一般の人々が楽しめるエンターティンメントへと昇華しようとする強靱な意志が画面からひしひしと伝わってきたからだ。

 3月31日にNHK BSプレミアムで放送された「ドキュメント シン・仮面ライダー~ヒーローアクション 挑戦の舞台裏~」でも庵野監督はアクション場面の生々しさ、切実さを徹底的に求め、「殺陣(たて)ではなく殺し合いを演じて」「段取りなんかいらない」とアクション担当のスタッフの仕事を全否定するかのような厳しいダメ出しをしていた。庵野監督に反発を感じる視聴者も少なくなかっただろうが、この「狂気」とも言える執着が、庵野監督の創造する作品を凡百の映像とは隔絶した水準にまで引き上げているのだ。

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 しかし、庵野監督の「シン・シリーズ」が世間に対して強い訴求力を持つ理由はそれだけではない。庵野監督は2001年のインタビューでこんな発言をしている。

仮面ライダー大集結特展(2018年) ©時事通信社

作り手の「願望や怨念」がオリジナルの圧倒的強さ

「最初のころ作られていた怪獣なり巨大ヒーローってのは(中略)作り手にとって、怪獣はいない、宇宙人もいないっていうのを前提に作ってる」「作ってる人たちのメタファー(暗喩)というか、願望や怨念みたいなものが、怪獣なり巨大なヒーローなりに託されていると思います。そこがオリジナルの圧倒的な強さだと思います」(「文藝別冊 円谷英二 生誕100年記念」)

 庵野監督が言わんとしているのは、「まったくの絵空事である怪獣や特撮ヒーローが強い訴求力を持つには、一般の映像作品以上に、その時々の現実と生々しい接点を持ち、人々が抱いている『願望や怨念』を映し出す必要がある」という逆説だ。

 庵野監督は「シン・仮面ライダー」を制作するに当たって、「仮面ライダー」の物語の根源にあった「当時の作り手たちの願望や怨念」をどのように把握し、それを現代的な文脈で表現しようとしたのか。

 1971年4月3日に放送が始まった「仮面ライダー」の制作準備は、その約2年前から始まった。70年秋には「十字仮面(クロスファイヤー)」というタイトルで企画はほぼ固まり、11月上旬には毎日放送の企画書も制作された。石ノ森章太郎の描いたヒーロー・クロスファイヤーのデザイン画は、白いマスクに赤いバイザーのついた洗練されたもので、番組を制作する東映テレビ部、毎日放送の双方に好評だったという。

 しかし石ノ森はクランクインが目前となった71年1月、「クロスファイヤーのデザインにズキンと来るものがないので変更したい」と自ら申し出、約1年前に発表した読み切り作品「スカルマン」をベースに、ドクロをモチーフとするグロテスクなデザイン画を新たに描き起こした。

「スカルマン」(大都社)

 テレビ局側の「食事の時間帯の番組で骸骨は困る」という意向でこのデザインは却下。バッタをモチーフとしたデザイン画を経て、ようやく決定に至った。仮面ライダーのマスクはバッタにしては異様に目が大きく、全体の印象はバッタよりもむしろドクロに近い。なぜ、石ノ森はデザインの変更を決意したのか。

三島由紀夫自決の影響

 実は、石ノ森が「スカルマン」への変更を申し出る前には、ある事件が起きていた。70年11月25日、作家・三島由紀夫が自衛隊市ケ谷駐屯地で割腹自殺したのだ。

 石ノ森は当時、青年向け漫画雑誌「プレイコミック」で連載中だったSF漫画「時の狩人」の一回を、三島が死の直前に演説した「檄文」やマスコミの報道、知識人らの反応で埋め尽くした。「時の狩人」という作品自体は三島とは関わりがなく、石ノ森の「どうしても三島事件を取り上げたかった」という熱い思いが伝わってくる。

 石ノ森は多くの作品で社会問題を取りあげ、若い頃には新聞記者や作家に憧れた。石ノ森にとって、三島がまばゆい存在であり、その死に巨大な衝撃を受けたことは疑いない。たとえ子ども向け番組でも「クロスファイヤー」のような洗練されたヒーローでは、三島事件を経た日本社会では訴求力を持たない――。石ノ森は半ば無意識にそれを直感し、死のイメージに直結する「ドクロ」にこだわったのではないか。

 石ノ森がテレビ放映と同時期に雑誌連載した漫画版の「仮面ライダー」も、テレビ版よりもはるかにペシミスティックで、死の香りが漂う作品だった。エリートによる人類統制をもくろむ組織「ショッカー」に、無理やり肉体を改造された主人公・本郷猛=仮面ライダーは「いまのおれは…人間であって人間でない!」と強いコンプレックスを抱く。

 しかも、戦う相手は自らの「生みの親」とも言えるショッカーと、自らと同じ境遇で兄弟とも言えるショッカーの改造人間=怪人たち。本郷は「おれの同類とよべる『怪物』たちは…すべて敵になる運命になっている」「おれはこのひろい世界にただひとりなのだ!」と絶望する。

 そして本郷=仮面ライダーの抵抗に業をにやしたショッカーはついに、本郷と同じ能力を持つ「12人の仮面ライダー」を作りあげ、刺客として差し向ける。「13人目の仮面ライダー」となった本郷は変身できないまま敵のライダーたちに囲まれ、ついには血まみれとなって殺されてしまうのだ。自らの属する巨大な組織や社会悪に1人叛旗を翻しても、しょせんは風車に向かうドン・キホーテのような無謀な試みであり、圧倒的な力の前に横死するしかない。石ノ森は「ヒーロー漫画」を描きつつも、「現実世界におけるヒーローの不可能性」を自ら暴いてしまったのだ。

原型となった「スカルマン」

 それは「時代の気分」でもあった。「反帝国主義」「反米」を掲げた70年安保闘争は成果を挙げられないまま収束に向かい、「対米従属路線を堅持しつつ経済繁栄を目指す」という戦後の日本社会の方向性が確定しつつあった。「人々の連帯によって矛盾に満ちた世界を変革できる」という希望は急速にしぼんだ。

「仮面ライダー」という一見楽天的な子ども向け番組の奥底には、石ノ森や三島、そして社会の変革を願った多くの人々の心を占めていた「絶望」が塗り込められているのだ。

漫画版「仮面ライダー」(秋田文庫)