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『八つ墓村』の「祟りじゃ!」はフランス語訳ではどうなるの?

高野秀行が『物語を忘れた外国語』(黒田龍之助 著)を読む

2018/07/11
『物語を忘れた外国語』(黒田龍之助 著)

 読みやすく楽しい本である。外国語を学習する人を励ましてくれる本でもある。ただし、他の語学本とはちがい、勉強のコツなどは一切書かれていない。というか、著者の黒田さんはもともとロシア語の先生で、他に英語を教えたり、ウクライナ語の辞書を作るなど、語学の達人にして優秀な教師であるにもかかわらず、「外国語が何かの役に立つ」とか「効率的な学び方」といった実益性が大嫌い。

 代わりに、本書で黒田さんは物語を通して外国語を学ぶという、かつては王道だったが今ではすっかり廃れてしまったかのように見える細くてうねうねした道を提案する。

 しかも、黒田流は実益だけでなく、権威づけや決めつけも嫌い。例えば、黒田さんはチェコ語の学習向上のためにチェコ語の小説を読んだが、それはチェコ人作家のものでなく、なんと星新一『ボッコちゃん』のチェコ語訳だったという。理由は単に星新一が好きだから。チェコ語=チェコ人作家という「決めつけ」がよくないわけだ。語学はそれぐらい自由であっていいと黒田さんは繰り返す。

 大学で英語を教えることになったときも、教え方の研究などせず、自分の英語力アップに打ち込む。それもやはり物語。今度は十八世紀イギリスの作家ヘンリー・フィールディング『トム・ジョーンズ』。誰それ? という感じだ。語彙は古めかしく、やたら長い小説だという。もっともそれを我慢して読むわけではない。“クロダ語学条例”では「求道的な姿勢」も違反とされている。先にBBCで制作され、NHKで放映された、この小説のドラマ版をちゃんと見ているのだ。

 このように黒田ワールドにおいて物語と外国語は融通無碍。個人的には横溝正史の『八つ墓村』に仏語訳があるという話に惹かれた。「祟りじゃ!」はフランス語で何と訳されているのか。気になるじゃないか。

 外国語のコツは書かれてないが、楽しみ方は十二分に書かれた良書である。

くろだりゅうのすけ/1964年生まれ。上智大学外国語学部ロシア語学科卒、東京大学大学院修了。神田外語大学特任教授。NHKロシア語講座の講師としてテレビ・ラジオに出演。『ロシア語だけの青春』等著書多数。

たかのひでゆき/1966年生まれ。ノンフィクション作家。近著に『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(共著)。

物語を忘れた外国語

黒田 龍之助(著)

新潮社
2018年4月26日 発売

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