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特集集まれ「インターネット老人会」

「あめぞうリンク」は日本のインターネット文化の底流だ

掲示板ユーザーだった「ネットアイドル」MICHIKOの取材で感じた「虚」と「実」

2018/08/12

2ちゃんねるの前身とも言える「あめぞうリンク」

 再びその世界に戻ってきたのは、まる10年を経た1998年になってからだ。その年の夏、自民党本部の会議場で小渕恵三が新総裁に選出され、「小渕総裁、万歳!」と党員たちの声が轟いていた時、壇上の脇で立って取材していた私にピーンという嫌な鋭い音がして、突然右耳が聞こえなくなった。病院で聴神経腫瘍と診断され、開頭手術をして腫瘍を切除し、右耳の聴力を失い、顔の右半分も麻痺して動かなくなってまともに食事もできなくなり、会社を3ヶ月休んだ。

 顔の麻痺はしばらくして元に戻ったけれども、激務はとうてい無理だと判断されて、社会部の中でも比較的楽な職場とされていた「東京都内版担当」に異動した。街の取材をしながら、空いた時間を使って、当時盛り上がってきていたインターネットの世界にも浸るようになる。

©iStock.com

 ちょうどそのころ、2ちゃんねるの前身とも言える「あめぞうリンク」という掲示板が盛り上がっていた。それまでの使いづらかった掲示板を「スレッドフロート型」という斬新な機能で刷新し、ユーザーが殺到していた。「あめぞうリンク」はだんだんと荒らしに対応しきれなくなり、サーバの負担増もあって、「ひろゆき」こと西村博之が開設した2ちゃんねるは、その代替として大きく発展していくことになる。

まだ「マスゴミ」なんて言葉もなかった

 もはや「あめぞうリンク」は、ネットの古い裏歴史ぐらいでしかない。でも1990年代末、この掲示板や「ホームページ」と呼ばれていたIBMホームページ・ビルダーで作られていたような個人のサイトには、その後の長い年月にわたって日本のインターネットの底流となるような文化が存在していた。そのありようは今振り返っても新鮮で、そもそも日本のネット文化はその後もあんまり変わっていないんじゃないかという印象さえ受ける。

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 この当時、私は「あめぞうリンク」に書き込んでいる人たちやホームページを開設していた人たちにコンタクトをとって、直接取材をお願いしていくつかの原稿を書いた。当時はまだ「マスゴミ」なんて言葉もなかったので、取材が拒否されることもあまりなかったように思う。

 1999年5月には「電子の森を歩く」という集大成的な連載記事を毎日新聞東京都内版に書いた。その中の1本を、以下に紹介してみようと思う。