私は1990年代のほとんどを全国紙の事件記者として過ごしていて、刑事宅への夜回りや現場の聞き込み取材に翻弄されていた。でももともとはそんな仕事を目指していたわけではない。大学を中退して26歳で新聞社に入る以前、ぶらぶらと執行猶予のようにボンクラ学生として過ごしていたころ、ふと思いついてバイト代をはたいて購入したパーソナルコンピューターにすっかりはまり、やがて漢字も使えるマシンに買い替え、ついには国内で販売されたばかりだった通信モデムも買った。
日夜活発に行われた政治や社会、経済の議論
マシンはエプソンのPC-9801互換機、PC-286U。モデムは1200bps。1987年の秋のことだ。Nifty-Serveなどの商用パソコン通信サービスが始まった直後のことで、パソコン購入で貯金を使い果たしていて入会する余裕もない。当時はパソコン通信のホストを個人が自宅で設置するのが小さなブームとなっており、「草の根BBS」と呼ばれていた。このような無料のホストにつないで小さく遊んでいたのだけれど、そのうちに「電子村」というプロジェクトに出会う。
これは市民運動のネットワークをパソコン通信上に構築しようという当時としては斬新な試みで、完全実名制を導入し、回線も多数用意され、参加者も国会議員の秘書や大学の先生、通信社記者、牧師、市民運動家、予備校講師など多彩な人たちが集まっていた。このフォーラムで政治や社会、経済の議論が日夜活発に行われ、学生だった私もあっという間に深入りし、オフ会にも出席して交流を深め、コンピューターのネットワークというものの未来の一端に触れたように思った。とても熱い感覚だった。
とはいえ翌年には新聞社に入社し、岐阜支局に配属されて、地べたを這いずり回るような仕事に放り込まれて、コンピューターにもネットワークにも縁遠い生活をするようになる。