バルセロナで尾崎豊の訃報に接した。1992年(平成4年)4月のことである。数カ月後にオリンピックが開催されるスペインを旅していた私は、ワープロ専用機のモバイル端末(OASYS Pocket)と現地アクセスポイントからのローミングを経由して、日本での報道とほぼ同時に衝撃的なニュースを目にすることとなった。当時はまだ携帯電話の普及率も1%ほどの時代だったのだが、デジタル通信が世界各国の距離を一気に縮めることを予感させた出来事だった。
時代が平成になった頃、私はクイズ作家になっていた
私は高校生だった1978年(昭和53年)からクイズ番組に出演し始め、80年代半ばまでに名だたるクイズ番組で優勝、日本一決定戦も数多く制し、時代が平成に変わる頃にはクイズ番組の企画や出題を手がけるクイズ作家となっていた。私が手がけ今日のクイズ界の流れを作ったとされる「史上最強のクイズ王決定戦」がスタートしたのは1989年(平成元年)のことである。
またクイズ王としてテレビ番組に出演する機会も増え、女王・石野まゆみ氏、巨漢・西村顕治氏と共演して著名人たちと対決した特番「当たってくだけろ!」(司会/高田純次)をご記憶の方もおられることと思う。私以外は皆、現在でもさほど見た目に変わりはないというのが世間の評判のようだが。
私がニフティサーブを利用し始めたのは1989年の2月である。この頃のネット環境はパソコン通信と呼ばれたものが主流で、当時多くのユーザーがいたワープロ専用機が端末となってネットが普及し始めた時代である。ネット上にはまだ情報を発信する側の機関や組織が少なく、いち早くネットに接続しようとしていた人の多くは、事情に詳しい人々とつながる場を求めていたのだといえるだろう。