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探検家・角幡唯介の人生「2年で800万貯めて朝日新聞を辞めたあのころ」

本屋大賞を受賞した探検家はどんな家に住んできたのか?――新・「家の履歴書」

2018/11/08

朝日新聞を退社し、チベットの謎の峡谷に再び挑戦

角幡 会社を辞めた直接の理由は、「もう一度、チベットのヤル・ツアンポー峡谷に挑戦したい」という気持ちを抑え切れなくなったためでした。

《ヤル・ツアンポーは、ヒマラヤの7000メートル級の山に挟まれた世界最大の峡谷。何人もの探検家が挑戦しても未踏の空白地帯が残されていたため、「謎の峡谷」と呼ばれていた。角幡さんは、大学卒業後の2002年、その空白地帯を単独で踏査している。

 再びこの秘境に挑んだのは7年後。今度は、約60キロに及ぶ無人地帯を単独で完全踏破する計画を立てた。しかし、地形の変化や悪天候、水や食料を当てにして辿り着いた村が廃村になっていた、など想定外の事態が次々に起こり、一時は死を覚悟するほど過酷な旅となった。

 この2度の探検を書いた『空白の五マイル』は、開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞する。》

角幡 グーグルアースで世界中の地形がわかる時代になっても、実際に行ってみなければわからない人跡未踏の秘境は、まだまだ多いです。

 この探検について、北海道新聞「ひと」欄の取材を受けました。記事が載った当日の昼頃です。担当記者から電話がかかってきて、「ヤル・ツアンポー探検の歴史について、読者から間違いの指摘があった」と言うんです。どっちでもいいような超マニアックな部分でしたが、僕の功績がもう少し大きいはずだという指摘でした。

「そんなに詳しい人が北海道にいるのか」と思って記者に尋ねると、「実は、芦別のお父様です」。息子のやってることを認めてくれた、ということでしょうか。

多くの賞を受けたものの引越し先は家賃4万円のアパート

《角幡さんはその後もさまざまな探検を成功させ、著書は多くの賞を受ける。

 2010年、豊島区東長崎のアパート山野荘に引っ越す。2階の角部屋で、家賃は4万円。トイレと流しは共同だが、角幡さんの部屋だけ風呂とエアコンがついていた。》

角幡 小さなベランダに、リサイクルショップで買った洗濯機と物干し竿。押し入れはふすまを取っ払ってから、探検の装備を突っ込んだ衣装ケースを並べて、棚として使っていました。

 山野荘では、毎冬しもやけに悩まされました。理由は明らかで、ぼろすぎるから。エアコンはあるのに暖気が隙間から抜けていくようで、温度と風力を最大に設定しても、ちっとも暖かくならない。しもやけなんて、北海道にいた小学生のとき以来でしたよ。

 2階には4部屋あって、隣りは同い年くらいの高橋君。ボクシングジムに通っているらしく、よく軒下にグローブを干していました。その隣は50歳くらいのオジサンで、夏はドアを開けたまま裸で寝ていました。もう1人は、あまり姿を見ない若い男。ときどきキレイな姉ちゃんを連れ込んで、建物が揺れるんですよ。「クソー、いいなあ」と思っていました。

辛い経験を重ねた独身時代の合コン

角幡 独身時代は、僕もよく合コンに出ました。探検の話を講談調にしゃべると、女性たちの顔色が変わります。“男の中の男”を感じてうっとりしてるんだな、と思ったのは勘違い。収入が不安定で留守がちで、生きて帰って来る保証さえない男として“対象外”になったことに気づくまで、辛い経験を重ねました。

 大学時代の友達と久しぶりに飲んだとき、会社のOLを連れて来るように頼んで、知り合ったのが妻です。飲み会の数日後「本を読みました。かなり面白かったです」というメールをくれて、付き合うようになりました。探検家と結婚する女性だから、変わってますよ(笑)。

 新居も豊島区です。築45年のマンションで、東長崎の隣り駅の椎名町から徒歩6分。どうも見たことある景色だと思ったら、それまで住んでいた山野荘から100メートルくらいの場所でした。