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楢﨑正剛、目立つことを嫌った守護神

 楢﨑正剛がMVPに輝いた2010年シーズン。

 ドラガン・ストイコビッチ体制3年目に悲願の初優勝を達成した。それも2位鹿島を大きく引き離した独走劇。1点差で勝ち切る勝負強さが際立ち、優勝を決めた11月20日のアウェー、湘南ベルマーレ戦がまさにそれを象徴するゲームになった。

 楢﨑は17本のシュートを浴びながらもゴールを割らせることはなかった。結果は1-0。このシーズンの被シュート数はワースト2位。それでもリーグ3番目に少ない37失点に抑え、楢﨑がゴール前に立ちはだかった。

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2010年にクラブ初のJ1優勝。ストイコビッチ監督とシャーレを掲げた ©文藝春秋

 派手なプレーよりも、堅実なプレーにこだわった。

 大切にしていたのが基本。

「正面でボールをしっかり取る、しっかりと足を運ぶ。そういった基本の大切さを僕はこれまでのキャリアのなかでずっと言われてきましたからね。蓄積されてきたものがあると感じているし、すべては基本だと思う」

 奈良育英時代にはシュートを横っ跳びでもして止めようものなら、監督からお叱りの声が飛んできたそうだ。卒業後、横浜フリューゲルスに入団し、2年目に出会ったブラジル人GKコーチのマザロッピもまた基本の大切さを口酸っぱく言う人だったという。

 目立つことは好きじゃない。

 チームを支え、ゴールを守り続ける。それ以上もそれ以下もない。

「フィールドプレーヤーは自分から気持ちを出して行けるけど……」

 優勝を決めたあのシーズン、のちに意外な告白もあった。

「あのシーズンは最後の最後までもつれたわけじゃないし、もっと余裕はあったんですけどね。でも過去のJリーグを見ても何が起きるかわからなかったし、心のなかでは〝怖い、怖い〟って思っていた。だから早く決めなきゃいけないって思っていました」

 怖い、怖い。

 優勝経験がないだけに勝ち点差が詰まってくれば、何が起こるか分からない。だがそういった感情の一切を内に秘め、淡々と黙々と、己の役割をこなす。それが楢﨑だった。

J1通算出場631試合出場を誇る楢﨑 ©文藝春秋

 600試合を達成した後に聞いた彼の言葉が印象的だった。

「フィールドの選手であれば『気持ちを出せ』と言われたら、自分から出していけるじゃないですか。でもGKというポジションはそうじゃない。受け身になるし、いろいろと(気持ちで)コントロールしなきゃならない。経験を重ねてきてようやく慣れてきた感じもあるんです」

 以降も楢﨑は楢﨑であり続けている。

 631試合のJ1最多出場記録。調子の大きな波を寄せ付けない「コントロールの妙」があった。

3人がJリーグに遺してくれたもの

 守るとは何か。能力そのものより瞬時の半歩をあきらめないディフェンスが何より大切なのだと中澤は教えてくれる。

 勝利に導くとは何か。弱音を吐くことなく、疑うことなく、チームを思う姿勢を示し続けることが何より大切なのだと小笠原は教えてくれる。

 支えるとは何か。状況に左右されず、いつでも最大限にやり抜こうとすることが何より大切なのだと楢﨑は教えてくれる。

 彼らはMVPのシーズンだけ輝いたわけではない。

 どのシーズンも中澤は中澤であり、小笠原は小笠原であり、楢﨑は楢﨑であった。

 彼らのポリシーを、クラブのレガシーに――。

楢崎、中澤、小笠原の3人が揃って日本代表として出場した2010年ベネズエラ戦 ©AFLO