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小笠原満男、“常勝鹿島”のシンボル

 小笠原がMVPに輝いた2009年シーズン。

 イタリア・メッシーナから帰還した07年夏からの“鹿島第2章”。2列目からボランチにポジションを下げて持ち前の攻撃センスに加えてイタリアで磨いてきた守備の迫力を存分に発揮していくことになる。08年からはキャプテンに就任。9月の柏レイソル戦で左ひざ前十字じん帯を損傷して手術を余儀なくされたものの、全治10カ月の大ケガを乗り越えて09年シーズンの開幕に間に合わせている。

 序盤から順調に勝ち点を積み上げながらも8月下旬からリーグ5連敗を喫し、3連覇に黄信号が灯ろうとしていた。チームのムードが落ちそうになっていたときに活気ある雰囲気をつくろうと声を出し、チームメイトとコミュニケーションを取っていたのが他ならぬ小笠原であった。5連敗の後に引き分けを挟み5連勝しての優勝劇。誰よりも勝負どころを押さえ、誰よりも駆け引きに長け、誰よりも体を張って鼓舞する彼の姿があった。

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2009年にJリーグMVPを受賞した小笠原満男 ©共同通信社

「みんなからチームを思う言葉が出てきて嬉しかった」

 以降も小笠原は小笠原であり続けている。

 2016年にチャンピオンシップを制して7年ぶりにリーグ優勝したシーズンも、終盤に4連敗を喫している。チームの雰囲気にアンテナを張りながら、どのように振る舞うか。

 彼はこの年のシーズン後のインタビューでこう語っている。

「俺が言っちゃうとね……。でもみんなから(チームのためを思う言葉が)自然と出てきたから、それが凄くうれしくて。先に俺ら(年長者)が言っちゃうと、みんなああそうなんだってなっちゃうから。みんながどう感じているかを聞いて、でも、その言葉を聞いて俺は大丈夫だなと思った。

 みんなで頑張った。自然と(まとまった)では片づけられない。そこで崩れないのがやっぱりこのチーム。ずるずるいかないというか、やっぱり立ち返る場所があるから。タイトルを取るんだったら、みんなでやらなきゃだめだろって。そういうのがあって人は成長して、失敗というか考えさせられてみんなも感じるものがあって。連敗したときもそうだけど、みんなでいろんな話をして。今だから言えることだけど、そこから得たものもあったかなとは思う」

じつに7度ものJリーグ優勝を経験した ©文藝春秋

 最後のシーズンになった18年シーズン。左ひざ痛を抱えながらも、彼が練習を休むことはなかったという。鈴木満常務取締役強化部長はリスペクトの念をこめてこう言った。

「ミツオとソガ(曽ヶ端準)は試合に出られないときでも絶対に休まない。文句ひとつこぼさず、練習からやり切る。言葉は要らないですよ」