「JR東日本環境アクセスは、優しい人ばかり集まる」と石川さん
「JR東日本環境アクセスは、優しい人ばかり集まる」と石川さん

 熊本地震では、石川さんが店長を勤める店舗にも大きな影響があった。経営立て直しを図るため、たくさんのパート従業員を解雇しなくてはならず、人手不足でさらに忙しくなるという日々が続いた。そんな時、石川さんの妻に東京転勤の辞令が出た。妻は一家そろって東京での再出発を提案したが、店を任されていた石川さんは、単身赴任という手段を選んだ。しかし、日が経つに連れ、「やはり家族は一緒に暮らすべきだ」という思いが強くなったという。

 そこで石川さんは、高校卒業後3年間お世話になったJR東日本時代の知人に、グループ会社への就職ができないか、相談をしてみた。

 石川さんが、古巣の「JR東日本」にこだわったのは大きな理由があった。

「JR東日本に入社した当時の自分は、『プロ野球選手になること』しか考えられず、せっかく拾ってくれたJR東日本という会社への貢献がなにひとつできなかった。JR東日本は、私に社会人としての基礎を作ってくれた“恩人”です。こんな自分を拾って、そして育ててくれた会社に、少しでも恩返しをすることがこれからの自分の『使命』だと考え、JR東日本グループで働きたいと思うようになりました」

 相談を受けた知人は、いくつかのグループ会社を紹介してくれた。そのなかで石川さんがもっとも心を惹かれたのが、JR東日本環境アクセスだった。

「企業理念の『もっときれいに、もっとやさしく』という言葉にすごく惹かれたんです。きれいにすることで人に喜んでもらえるというのは、社会的意義の高い仕事だと思いました。それに、JR東日本環境アクセスには、野球部OBがたくさん在籍しているとお聞きし、ぜひここで働かせていただきたいとお願いしました」

朝の社内清掃は当番制。ていねいに清掃を行う
朝の社内清掃は当番制。ていねいに清掃を行う

 念願の、JR東日本環境アクセスへの入社が決まり、また家族そろって暮らせるようになった石川さん。配属されたのは、「総務部総務課」だった。社員の困りごとから業務に必要な手続き、申請など、「何でも屋」ともいえる広範囲の業務をこなす部署だが、石川さんに任されたのは、社長のスケジュールを管理する「社長秘書」業務だった。

「『社長秘書』と聞いた時は、正直自分にできるのか心配でした。最初は、協力会社さまや契約会社さま、ご担当者さまのお名前を覚えるところから始めましたが、なかなか覚えられない。自分でノートを作って、受験生のように何度も書いて覚えるようにしました」

 石川さんは、業務が円滑に行えるよう、周囲への気配りも忘れずに、感謝の気持ちを表すように心がける。「みんなが仕事をやりやすいようにサポートするのが総務部の仕事」と言い切り、備品の管理や経費削減にも積極的に取り組む。「野球選手時代は、自分のことしか考えていなかった。今は、いろいろな経験を経たおかげで、常にまわりの人がどう快適に仕事ができるかを考えるようになりました」そう話す石川さんの顔つきは、まさに「社長秘書」そのものだ。

「石川さんは、スポーツマンらしく、反応が早い。非常に助かっています」と梅原社長(右)
「石川さんは、スポーツマンらしく、反応が早い。非常に助かっています」と梅原社長(右)
実直でていねいな石川さんの仕事ぶりは、直属の上司からも高く評価されている
実直でていねいな石川さんの仕事ぶりは、直属の上司からも高く評価されている