グリーンランド北西部の犬橇文化

 犬は今回の探検ではいろいろな意味で頼りにしているパートナーだった。まず極夜という異常環境下では白熊対策の番犬として犬は絶対に必要だった。今回の探検予定地であるグリーンランドとカナダの間の海峡近辺は白熊の棲息頭数が多く、幕営中だけでなく暗闇の中を歩いている最中に接近してくる可能性がある。視界を奪われた状態で近づいてこられたら、犬が吠えてくれないかぎり絶対にわからない。犬なしで極夜の旅をするのは目隠しで地雷原を歩くようなもので、正直恐ろしすぎる。それに運搬能力も頼りになる。同じ北極圏でもカナダの犬橇文化は事実上滅びているが、シオラパルクをふくむグリーンランド北西部では今も犬橇が村人の生活の足として機能しているため、犬の橇引き能力は非常に高いのだ。個人的な感覚だと一頭につき70キロから80キロは引いている感じで、荷物が残り10日分ぐらいになると犬だけに引かせたほうが速いぐらいである。

 犬が元気なことにひとまず安心したが、出発までにやらなければならないことは山ほどあった。最大の仕事は氷河の荷揚げである。

1000メートルの氷河の荷揚げ作業が始まった

 今回の探検ではシオラパルクを出発してグリーンランドとカナダの国境付近を4カ月以上、旅するつもりでいたが、そのためにはまず村の奥にあるメーハン氷河を登らなければならない。だが、このメーハン氷河は傾斜がきつく、総重量150キロ以上はあろうかという橇を引いて1000メートルも登らなければならず、かなり厄介な代物だった。それだけに事前に荷揚げし、本番では登る時間を短縮してスピーディーに行動したいと考えていた。

 村の小さな雑貨店で灯油や食料、弾丸、ドッグフードなどを買い足し、村人からの脂を売ってもらい、日本から持ってきた食料と一緒にスポーツバッグやプラスチックの樽につめこんだ。それをグリーンランド型の自作の木橇2台に乗せた。

 氷河の荷揚げ作業に出発したのは11月11日、村に到着してから4日後のことだった。犬と一緒に2台の木橇を引いて村を出た。橇には荷揚げする物資のほか、どういうわけか亀川さん、折笠さんの撮影班のキャンプ道具も積まれていた。

 この冬は気温が高いのか、海はまだまったく凍結する気配を見せず表面がゆらゆらと波立っていた。海氷を歩けない以上、陸地側にできる氷の上を歩かなければならない。沿岸には潮の干満作用により定着氷と呼ばれる氷ができあがるが、ただ、その定着氷もまだ十分に発達したとはいえない状態だった。いったいどれぐらい時間がかかるかわからないので、私はこの荷揚げ作業に往復1週間の日程を組んだ。

氷が張る前の村 ©角幡唯介