地球上には極夜という暗闇に閉ざされた未知の空間がある。
それは太陽が地平線の下に沈んで姿を見せない、長い、長い漆黒の夜である。そして、その漆黒の夜は場所によっては3カ月から4カ月、極端な場所では半年も続くところもある。
私がシオラパルクの村をおとずれたとき、村はもう2週間以上前から太陽が昇っていなかった。極夜となり太陽が不在となったせいで、村の風景は全体的にどす黒く染まっていた。海はどす黒く、空もどす黒かった。どす黒いというより色調を通常の紺色から数段階黒に近づけた濃紺という感じだが、極夜という太陽不在の暗鬱な季節の心象が、私に村の色合いを濃紺ではなくどす黒いと感じさせた。
雪や氷も全体的なトーンの影響を受けて、うっすらどす黒かった。人々の顔も生気が喪われるせいか、気持ちどす黒く見えた。わずかに染み出してくる太陽の光が、地表や海にすべて吸収されてしまい、もうあまり残っていないのだった。
薄闇のなかで、村の一角だけが橙色の街灯や家々の室内灯でぼんやりと光につつまれていた。
極夜の闇の端っこで、ポツンと寂しそうな感じで光が灯る村の様子は、どこか物悲しかった。人々は肩をよせあい、小さな電球を灯して、闇に塗り固められようとしている世界に対して儚い抵抗をしているように見えた。人間の無力、滑稽さ、独善、欺瞞、悲哀。そうした一切が、そのか弱い光からこぼれ落ちてくるようで、見ていて胸が苦しくなった。闇のなかで村は完全に孤絶していた。
日本から最北の村までは9日間
村に到着したのは2016年11月7日だった。成田空港で妻と3歳になる娘に見送られて日本を出国したのは9日前。欧州を経由してグリーンランドに入り、シオラパルクから50キロ離れたカナックという空港のある町までは順調にやってきた。だが、気圧の谷の影響か、カナックでは大気の湿った視界の悪い状態がつづき、ヘリはなかなか飛ばなかった。5日間足止めをくらい、この日ようやくシオラパルクに来ることができた。
村に来るのは3回目のことだ。ヘリを降り、風圧で飛び散る粉雪のなかを待合小屋のほうに歩いていくと、前年の旅で世話になったヌカッピアングアという50過ぎの中年男が迎えにきてくれた。
「イッディ・ナウマット(お前、元気だったか)」
われわれは声をかけあい、がっちりと再会の握手を交わした。他にも彼の家族や友人が出迎えてくれた。
シオラパルクにヘリで到着。村の人たちと再会の喜びを分かち合った ©折笠貴