200年前にイヌイットが見た景色
シオラパルクは北緯77度47分という北極圏の中でも北も北、超極北エリアにある小さな猟師村である。グリーンランド最北であるばかりか、先住民が住む集落としては世界最北でもある。
この地域に住むイヌイットが欧米の探検家とはじめて会ったのは1818年だと言われている。欧州とアジアを結ぶ幻の北西航路を発見するために来た英国の探検隊の前に、小さなイヌイットの集団が姿を現した。当時はこんな北の果てに人間が住んでいるとは考えられていなかったため、探検家の集団は腰を抜かしそうになったという。
だが、もっと驚いたのはイヌイットのほうだったはずだ。目の前に彼らの想像力をはるかに凌駕する巨大な帆船があり、奇抜な服装をした気味の悪いほど肌の白い男たちが立っていたのだ。そしてイヌイットの男の一人が、後々まで記録される次の有名な科白をはいた。
「お前たちは月から来たのか。太陽から来たのか」
私が北の最果てに来たのは、この約200年前のイヌイットの男が見ていたような本物の太陽や本物の月を見たかったからだった。
太陽はいつからニセモノになったのか
たとえば本物の太陽。それはひと言でいえば、万物をそこにあらしめる究極の光のことであろう。何億キロワットとか何兆ルーメンなどといった科学的に計測される無味乾燥な単位では断じて表現することのできない、もっと私たちの存在を直に刺激する根源的なパワーのことである。私たちの肉体と精神に規律と脈動をあたえるダイナミックな光のことであり、ひと言でいえばお釈迦様の背後から世界を照らす後光。過去の苦難や困窮や罪業がすべて洗い流され、一人の新しい人間としての再生を感じることができる、そんな法悦の光である。
ところが今では太陽は人間にとってそうした本質的な存在ではなくなった。
人工的な照明、LED、ウランやプルトニウムを利用した人工的な疑似太陽ともいえる核分裂装置等々で発生させたエネルギーに生活を依存した現代人にとって、こうした本物の太陽は決して見ることのできない存在となってしまった。私たちは普段、太陽を見ているようで、じつは見ていない。私たちが毎朝、会社に通勤するときに見ている太陽、あれは太陽の姿をしたニセモノだ。物理的な火の玉としての太陽は昔から何もかわらない灼熱のエネルギーを地球に送りとどけているのに、受け取り手である私たちの側がテクノロジーに頼りきり、自然から切り離され、知覚能力が著しく減退したせいで、そのあるがままの姿を見ることができなくなってしまったのである。