真の闇を経験するために極夜の世界へ
その結果、今となっては太陽のパワーなど、猛暑日に新聞やテレビのニュースが熱中症に気を付けてくださいと注意喚起するのがせいぜいで、少なくとも私たちの世界を構成する主要な登場人物にはなりえていない。フェイスブックやツイッターで今日の朝の太陽について語るヤツはいないし、もし毎朝、日の出を見て祈りを捧げている人がいたら確実に風変わりな人物だとみなされるだろう。友人だって離れていくにちがいない。古代人は太陽に生かされ、太陽に殺され、太陽に感謝し、太陽を呪うことができたが、私たちは、少なくともこの私は、所詮太陽の光によって生かされている有機化合物の集合体にすぎないくせに、その産みの親ともいえる太陽にたいして気の利いた言葉のひとつかけたことさえなかった。
同じように私たちは月を喪い、星を喪い、闇を喪った。人工灯の灯りに守られた現代の夜に、真の闇の恐ろしさは感じられない。
極夜の世界に行けば、真の闇を経験し、本物の太陽を見られるのではないか――。
そんなことを考えたのは、もうずいぶん前のことになる。
過去にほとんど例がなかった“極夜の探検”
一般的にはあまり知られていることではないが、じつは冬の極地は、場所によっては数カ月にわたり太陽の昇らない極夜とよばれる季節をむかえる。すなわち地球上には想像を絶する長い夜が存在するのだ。
幸運なことに、極夜という現象そのものを未知なる空間ととらえて、それを洞察するために探検した人間は過去にほとんど例がなかった。もう未知など存在しないと思われているこの高度情報化社会であるが、極夜世界だけは比較的手軽な謎の空間として、ほぼ手つかずで放置されていた。暗くて寒いだけの極夜など多くの人にとって関心の対象ではなかったのだろう。それに、どう考えてもそんな面白味のない状況に好き好んで旅しようと考える酔狂な人間は、長い人類史上でもほとんど存在しなかった。とりわけ近代になり、探検や冒険がどこかに到達するという視点にしばられてからは、地理的な成果のない極夜など対象になりえなかった。
しかし私は極夜にひきつけられたのだった。気になってしょうがなかった。太陽のない長い夜? いったいそこはどんな世界なのだろう。そんな長い暗闇で長期間旅をしたら気でも狂うのではないか。そして何よりも最大の謎、極夜の果てに昇る最初の太陽を見たとき、人は何を思うのか――。
太陽があることが当たり前になりすぎていて、太陽のありがたみすら忘れ去られてしまった現代社会。人工灯に覆われて闇を駆逐し、闇の恐ろしさすらわからなくなってしまった現代社会。そんな日常を生きるわれわれにとって、太陽のない長い夜の世界には、まさに想像を絶する根源的な未知がねむっているように思えた。もし、この数カ月におよぶ暗黒世界を旅して、そしてその果てに昇る太陽を見ることができれば、私は夜と太陽、いや、それを突きぬけて闇と光の何たるかを知ることになるのではないか。
私が世界最北の村シオラパルクにやってきたのはそのためだった。
『極夜行』
角幡唯介
定価: 本体1750円+税
発売日: 2018年02月09日