到着した日から私は極夜世界を探検するための準備をはじめた。食料や燃料を調達し、装備を整え、橇を組み立て、天測の精度をあげる日々がつづいた。
世界最北の村であるシオラパルクは同時に世界で一番暗い村でもある。
シオラパルクは、極夜的にグレードの高い場所
極夜は極地圏ならどこでも起きる現象だが、すべてフラットに等しく暗くなるわけではない。その暗さには濃淡があり、北極の場合なら北に行けば行くほど期間が長くなる。たとえば北極圏の南限である北緯66度33分であれば、極夜といっても太陽が昇らないのは冬の間の1日だけだ。一方、もっとも北である北極点になると極夜は6カ月もつづき、いわば究極極夜状態となる。北極点とは半年が極夜で半年が太陽の沈まない白夜、つまり日の出と日の入りが年に一度ずつしかない極端な場所のことを言うわけだ。北極点ほどではないが、シオラパルクも北緯78度近くの超極北エリアにあるため、極夜期間は10月下旬から2月中旬までの4カ月近くにおよび、極夜的にみてかなりグレードの高い場所だといえる。
私はこのシオラパルクを根拠地に準備をすすめ、そしてさらに極夜の深い闇をもとめて、北へ旅をはじめるつもりだった。
体を震わせて駆け寄ってきたパートナー
今回の旅ではフリーの映像ディレクターである亀川芳樹さんとカメラマンの折笠貴さんがシオラパルクまで同行して、出発までの準備の様子を撮影することになっていた。
亀川さんは30歳になって京大に入学した変わり種で、アメフト部出身。顔はプロレスラーの髙田延彦そっくりで、いつも腕立て伏せをして無駄な筋肉をつけることに余念がなく、身体も髙田延彦そっくりだった。「ぞくぞくした」が口癖で、本を読んで気の利いた言い回しをみつけては「ぞくぞくした」、極夜の幻想的な光景を見ては「ぞくぞくした」と言っては私を閉口させた。折笠さんは2008年に私がヒマラヤの雪男捜索隊に参加したときも一緒だったので、旧知の関係である。アウトドア経験も豊富で、撮影中のキャンプも彼にまかせておけば問題なさそうである。
村に着き、私はまず自分の犬を引きとりにいった。犬の名はウヤミリック。地元の言葉で〈首輪〉という意味だが、イヌイットは適当に犬の名前をつけるので、〈首輪のように隷属の象徴として生きて欲しい〉みたいな意味があるわけではない。人懐っこいことにかけては村一番であるこの犬は、暗闇のなかから私がライトをつけて近づいてきたことに気がついた途端、尻尾をぶるんぶるん揺らし、再会の喜びで白く長い毛を震わせて、推定体重40キロ近い巨体ごと私によりかかり、顔をべろべろと舐めまわそうとした。
「デカいですね」亀川さんが犬を見て言った。ぞくぞくしているらしかった。「それにもののけ姫の狼みたいに凛々しい」