「創業100周年に売上高10兆円」――。創業者・石橋信夫が掲げた目標へ邁進する大和ハウスグループ。その経営理念に『文藝春秋』編集長・新谷学が迫る。
芳井敬一氏
大和ハウス工業株式会社 代表取締役社長兼 CEO
新谷 学
聞き手●『文藝春秋』編集長
コロナ禍でも「共に創る。共に生きる。」を実践
新谷 2021年度の決算で、売上高は4兆4395億円。営業利益が3832億円。共に過去最高を記録しましたが、どう評価していますか。
芳井 営業利益には、運用益が500億円ほど含まれているんです。コロナ下でよくやったことは間違いありませんが、経営する側とすれば、過去最高と言われるのは非常にくすぐったい。
運用益を除くと、営業利益は2020年3月期が一番でした。この年は、不祥事が相次いで発覚し、会社は大変な時期でした。ですから、こういった中で社員が歯を食いしばって出してくれた業績が過去最高になったことを、涙が出るくらい嬉しく思ったんです。
新谷 私が素晴らしいと思ったのは、コロナ禍で工事を中止した際、関連業者に予定通りに支払いをした姿勢です。
芳井 大和ハウスの持っている力だと思います。緊急事態宣言が出されて、工事を止める決断は我々自身で下しました。しかし協力会社は資材を手配済みだろうし、職人さんやガードマンさんも大変だろうという話になりました。
「これくらいの支払いを約束しています」と金額が出てきたとき、ごく自然に「じゃあ計上しましょう」とみんなが言いました。誰一人として反対しません。当然ですねという雰囲気で、「少し多めにしときますか」という話にまでなりました。
新谷 大和ハウスらしさですね。コロナ禍では、立場の弱い下請けにしわ寄せが行く構図がよく見られましたから。
芳井 僕もそう思います。調子がいいときにはステークホルダーのみなさんと一体感が出やすいですが、お互いしんどいときにどうするか。創業者・石橋信夫の教えをもとに描いた「共に創る。共に生きる。」という基本姿勢が、自然と僕たちの体内に入っているんです。
新谷 ぜひお聞きしたかったのは「リブネスタウンプロジェクト」です。過去に大規模開発された郊外型の戸建て住宅団地には、老朽化や住民の減少で寂れてしまったところが多くあります。大和ハウスは、自分たちがつくった街に対して責任を持ち、「再耕」を提唱しています。
芳井 だっておかしいと思いません? 高齢化。少子化。空き家がいっぱい。「それを読めなかったんは、うちやろ」と言っているんです。自分たちのつくった街が泣いてるのに、見捨てるのか。それで新しい街をつくる資格があるのか。と僕は問うているわけです。
新谷 日本中、至るところで起こっている問題ですね。
芳井 「SDGs17の目標」の中に「つくる責任 つかう責任」とありますが、「つくった責任」もあるでしょう。
新谷 具体的に言うと、どういう取り組みをされているんですか。
芳井 その場所の事情で違います。兵庫県三木市の「緑が丘ネオポリス」の緑が丘地区では、高齢化率が40%を超えました。そこで、若者世代の流入を図りつつ、高齢者が働ける場所を作ろうと考えた結果、ランの栽培を始めました。ランなら、戸建て住宅のお客様に完成記念のプレゼントとするため、全量を買い取れるストーリーができます。
横浜市栄区の「上郷ネオポリス」では、商店街の多くの店舗が閉店してしまい、全戸調査を行なったら、生活必需品などの購入が不便だという高齢者の声が多く聞かれました。そのためローソンを誘致して、そこで働く住民が買い物に訪れる高齢者を見守る仕組みも作りました。
新谷 それも創業者・石橋さんの「儲かるからではなく、世の中の役に立つからやる」という言葉の具現化ですね。
芳井 都市計画を変えないでやってくれというのが、僕の出した条件です。学校があった場所に商業施設を持って来れば、人が集まるし華やかだけれど、安直です。
「十クラスの学校があった場所には、一クラスでもいいから学校を取り戻すことが再耕なんや」と言っています。本当の活性化には、新しい人たちが入って来なければダメですから。
迷ったときは創業者の言葉に立ち返る
新谷 省エネと創エネによって、建物の中で消費するエネルギーの収支ゼロを目指す「ZEH(Net Zero Energy House)」や「 ZEB(Net Zero Energy Building)」にも、積極的に取り組まれています。2030年度に、原則100%とすることが目標ですか。
芳井 積水ハウスさんがかなり先行されていて、僕たちはようやく背中が見えてきたところです。商業施設や物流施設の屋根にパネルを乗せて、太陽光発電をやっています。
発電は、愛媛県の西予と佐田岬で風力、飛騨で水力を、自社で運営しています。発電事業も、やはり創業者の「21世紀は『風と太陽と水』を事業化すべき」という言葉によるものです。
新谷 目の前の利益より、持続可能な成長モデルを構築されている印象です。私は出版部にいた2010年に、当時会長だった樋口武男さんの『先の先を読め 複眼経営者「石橋信夫」という生き方』という著書を編集したんですよ。新入社員に必ず配られるという石橋さんの著書『わが社の行き方』も読みました。書かれたのは1963年なのに、少しも古びていません。
芳井 新入社員はもちろん、どの世代にも「迷ったときは『わが社の行き方』に戻れ」と言っています。僕自身、何か事が起こるたびに読み返しますよ。
新谷 「営業は断られたときに始まり、受注は苦情のあるところから出てくる」という言葉など、我々の取材活動もまったく同じで、思わず膝を打ちました。立ち返るべき創業精神があるということは、幸せですよね。
芳井 本当にそう思います。
新谷 昨年秋には、創業者ゆかりの地である奈良県に「コトクリエ」という研修施設がオープンしました。日本最大級の規模だと聞きます。
芳井 社員教育だけでなく、地域の方や近くに住む子どもたちなど誰もが気軽に足を運べる開かれた施設にして、「みらいの価値を共創する人財」を社会と共に育む場にしたいと考えています。
社員は「うちの子」であり彼らのファンとなる
新谷 現在は最高顧問の樋口さんも芳井さんも、中途入社から社長になっています。いい意味での実力主義で、評価がフェアなんでしょうね。
芳井 この会社では、新卒か中途採用か、どこの学校を出たか、高卒か大卒かまったく関係ありません。誰も興味を示さないんです。
それと、「失敗は成功のもと」を実践している会社です。失敗すれば評価は落ちますが、絶対にもう一回、ゼロからやらせてくれます。責任を取ったら清算されて、改めてカウントしてもらえるんです。
新谷 芳井社長はもともと、小学校の先生になりたかったとお聞きしました。
芳井 小学校の先生だった父親が、僕にもやれと言っていたんです。なぜ小学校かというと、「ひとつの教科で評価するより、音楽ができる子、算数ができる子、体育ができる子。いろいろな面から子どもたちを見たほうがいい」という理由でした。
新谷 ところがラグビーをやったら上手で、高校時代は大阪市選抜チームのキャプテン。中央大学から神戸製鋼のラグビー部へ進まれました。
芳井 まだ全国制覇をする前なのでそれほど強くなくて、最高の戦績が関西社会人リーグの優勝でした。その後、平尾誠二選手たちが頑張ってくれたおかげで、神鋼OBという金看板が勝手に付いてきたんです(笑)。
新谷 大和ハウスへ転職されたのは、32歳のとき。
芳井 年下の先輩たちに育てていただきました。高校時代のラグビー部の監督から「一年生たるもの一年生たれ」と教えられた通り、朝は一番に出社して、みんなの机を拭きましたよ。
新谷 人を育てる上で、芳井社長が大切にしているのはどんなことですか。
芳井 社員を、自分の子どもだと思うことです。僕には娘が三人いますが、それぞれ違う一番いいところを見ています。なぜかというと、僕は彼女たちのファンであるから。
新谷 ファン、ですか。
芳井 はい。親は子どもたちの個性や長所を重視しますけど、会社で後輩を何人か持つと一方向で育てようとするじゃないですか。自分の子どもをどう輝かすかと考えたら、それぞれに適した方法を探すはずなんです。だから僕は、社員のことを「うちの子たち」と呼んでいます。
新谷 社員を自分の子どもだと思う。ファンになって長所を見る。お父様譲りの教育者の視点ですね。いや、すごい金言です。
芳井 「結果が出なくても過程を褒めてやれ」ということもよく言うのですが、なかなかできませんね。どうしても成果を重視しがちですから、成果のバーを下げることも必要です。
新谷 『週刊文春』でいえば、わかりやすい基準として、スクープを取った記者が評価されます。するとスクープが取れない記者は、自分はダメなのかと考えがちです。そこで私は編集長時代、派手なスクープには縁がなくても、たとえば実用性の高い健康記事を誠実にまとめている記者には、その仕事ぶりを評価していると直接伝えていました。
芳井 僕も、評価は明確にします。Cを付けた社員には、「次これをやったら、Bになれるで」と宿題を出します。
新谷 先ごろ、今年度から始まる五か年計画「第七次中期経営計画」を発表されました。売上高で5兆5000億円、営業利益で5000億円を目指し、持続的な成長モデルの構築を目標にされています。創業100周年の2055年には、10兆円の売上高が目標ですね。
芳井 これまで三か年計画だった中計を、五か年にしたのは初めてです。八次中計では企業価値の最大化を目指しているので、来年度か2024年度くらいからは八次中計を見据えた経営に切り替えていこうと思っています。
新谷 住宅・建設・不動産業界のトップ企業として、絶対に変えてはいけない点はどうお考えですか。
芳井 どんなにいい事業があっても、人がいなかったら実現できません。創業者が社是の一番最初に「事業を通じて人を育てること」と言っている通りです。人をつくることを、絶対やめたらダメですね。
Text: Kenichiro Ishii
Photograph: Miki Fukano