「たまたま恵まれていただけ」の可能性
たしかに、被害を受けても非行に走らずに大人になり、その後も犯罪と無縁の生活を送る人もいます。しかし、そのような人は、そもそも体力や知力といった能力、さらには被害を埋め合わせてくれる親や周囲の人々に恵まれ、あるいは、さまざまな支援制度の恩恵にあずかったから、非行に走らずにすんだだけなのではないでしょうか?
残念なことに、さまざまな被害を受けた少年たちの中で、非行に走った少年と、非行に走らずにすんだ少年との間に、そのような能力、周囲の人々や制度による支援の違いがあったかどうかについてのデータや研究はいまだに公表されていません。
したがって、上で述べたことは仮説に過ぎません。
しかし、仮に、さまざまな被害を受けて非行に走った少年には、その被害を埋め合わせるような支援などが十分でなかったということが真実だとしたら、どうでしょうか?
周囲の支援が将来を決める
そもそも、被害を受けた少年に能力があったとしても、それを開花させてくれる素敵な人々との出会いなくしては、埋もれたままになってしまうのも事実です。
すると、被害を受けた少年にとって大事なことは、能力の有無というよりも、おそらくは誰にでも潜在している能力を開花させてくれる人との出会いと、その後の指導や教育に恵まれることだと言わなければなりません。
つまり、少年が受けてきたさまざまな被害を埋め合わせるほどの支援が少年の周囲の人々や行政などから提供されるかどうかが、被害を受けた少年の将来を決めることになるのです。
救済されない虐待被害がたくさんある
虐待被害などは、そもそも犯罪被害に当てはまるものです。
犯罪被害を受けたのに、何もその救済がなされないで放置されることは、その3条に、「すべて犯罪被害者等は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」と定められている犯罪被害者等基本法、さらには犯罪被害者にも幸福追求権や生存権を保障している日本国憲法に照らして適切なことと言えるのでしょうか?