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「藝大に落ち、就職もせず、栄養失調で横たわっていた」75歳の"水彩画おじいちゃん"に170万人が癒されるワケ

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genre : ライフ, ライフスタイル, アート

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「家には白黒の図鑑が一冊しかありませんでしたから、図書室で初めてカラーの画集を開いて、印象派やモンドリアンの『木』なんて絵を見た時には、『なんだこれは。これが絵なのか?』と思うほどの衝撃が、バーンと心の中に入ってきましたね」

その後も、小学校を卒業するまで暇を見つけては足しげく図書室に通い、柴崎さんは何度もその画集を見直した。中学では柔道部に入ったが、高校生になり「やはり絵を描きたい」と思った柴崎さん。休部になっていた美術部に部員を集め、部長として活動。柴崎さんと部員は少ない情報をかき集めては研究し、互いに切磋琢磨(せっさたくま)する3年間を過ごした。

この試行錯誤の「自己流」が、その後の柴崎さんの人生に大きく影響することになる。

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合格した県庁を辞退

高3で就職を考える時期となり、友人が「県庁を受ける」というので一緒に受けに行った。無事合格したのだが、なぜか、それがちっともうれしくない。県庁で働いても自分はつまらなそうだと思った柴崎さんは、入庁手続きをしに行くのをやめてしまった。

その直後に、もうひとりの友人が「東京の専門学校に行く」と言うのを聞くと、突如、居ても立ってもいられない気分に襲われてしまった。そのときの東京といえば、遠い大都会で未知の世界。その友だちが光り輝いて見えたのだ。

しかし、農家の長男は跡取り息子として家を継ぐのが当たり前の時代。しかも、両親は底抜けに優しかったから「東京に行きたい」などとはおくびにも出せなかった。柴崎さんは激しく葛藤した。

5月になって父親と田植えをしていた時、溜まりに溜まった気持ちが突きあがってきた。

「……俺、東京へ行きたいんだけど」

すると、かがみ込んで苗を植えていた父親が、パッとこちらに顔を向けた。

「東京か? そりゃあ、行ったほうがいい」

絞りだすように言った息子の言葉を、父親はそのまま温かく受け入れた。「今でもそのときの情景が目に浮かぶんです」と柴崎さんは当時の心境を振り返る。

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