鷹党の皆さん安心してください、ホークスナインが鹿児島にやって来ましたよ!

 4月15日、県立鴨池野球場で主催試合が行われ、マリーンズを迎えうつ。「もう1頂!」を合言葉に「連覇ではなく、また1から頂点を目指す」と慎ましい気持ちで臨んだ今シーズン。しかし、ちょっと“謙虚”が行き過ぎたのか、悔しい開幕スタートとなってしまった。

 開幕から7試合目まで先発投手に白星がつかなかった。これは1988年の南海時代以来で、じつに「30年ぶり」の出来事だった。今年は球団創設80周年のメモリアルイヤーだ。だからというわけではないが、オープン戦の時も、49年ぶり8連敗とか12年ぶり負け越しとか、球団史を振り返る機会がやたら多かった。しかもネガティブな話題ばかりで……。

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 中軸打者にもやっと快音が聞かれ始めたが、まだ本調子はこれからといったところ。それでも、開幕から4カードを戦い終えた時点(12日まで)で6勝5敗と貯金を作った。ちなみに30年前は開幕7連敗だったそうだ。今のホークス、逆にとんでもない底力を持っていることが証明された形だ。

ホークスに宿る「鹿児島のパワー」

 さあ、鹿児島だ。ホークスのチーム状態は一気にMAXとなること間違いなしだ。この“薩摩国(さつまのくに)”は、ホークスにとって極上の“パワースポット”なのだ。

 11年3月に九州新幹線が鹿児島中央駅まで全線開通したこともあり、同年からほぼ毎年ホークスは鴨池球場で主催公式戦を行っている(14年はなし。17年は中止)。その結果が以下のとおり。

17年4月16日 中止
16年4月9日  対オリックス 13-1
15年4月11日 対日本ハム  4-2
13年5月11日 対西武    10-3
12年4月21日 対楽天    11-1
11年4月23日 対ロッテ   5×―4
 
 5試合すべてに勝利している。しかも打線がかなり活発になるのが特徴だ。

 ただ、それだけではコラムの題材として弱い。もっと掘り下げると驚くほど内容が濃く、ともすればシーズンの行方を左右するほどの試合が鹿児島では展開されてきたのだった。

 11年は右手親指のはく離骨折からの復帰戦だった小久保裕紀が劇的なサヨナラ打で自らを祝った。そして12年、13年は結果的にはホークスの強さを見せつけた試合となったが、それ以前のチーム状態は決して良くなかった。12年は2連敗、そして13年に至っては5連敗中で鹿児島決戦を迎えており、圧勝劇で最悪だったチーム状況を脱することに成功したのだった。

 この頃から「鹿児島には何かがある」と選手たちのあいだでも話題になり始めた。

「鹿児島何かある説」が確信に変わった2015年

 そして15年、それは鷹ナインの中で確信に変わる。

 この年の序盤はとにかく貧打に苦しんでいた。鹿児島に乗り込むまで3試合連続で無得点を記録していた。長いゼロ行進を止めたのは中村晃のタイムリー。チーム37イニングぶりの得点だった。呪縛が解けた鷹打線はその後快音を響かせて、秋にはリーグ連覇と球団史上初の2年連続日本一を成し遂げたのだった。

 16年も借金3だったチームが、鹿児島での大勝から8連勝と波に乗ったのだ。

 昨年は4月16日に試合が組まれていたが、残念ながらグラウンドコンディション不良で中止になった。工藤公康監督ももちろん好相性を知っていて「正直やりたかった」と恨めしそうな顔をしていたのをよく覚えている。なにせチームは4連敗中だった。「鹿児島から再起を」と誰もが目論んでいたのだから、ちょっと肩透かしにあった気分だった。

 しかし、鹿児島のパワーは確かにホークスへと宿っていた。軽い練習だけで千葉へと移動したのだが、その後チームは4連勝と息を吹き返したのだ。「え、鹿児島って行くだけで、こんなスゴイことになるのか」とチーム内でも驚きが広がっていた。

 さあ、今年もこのタイミングで鹿児島にやって来た。球団の日程調整の担当者さん、超ファインプレーだ。また、こうして振り返るとホークスの出足の悪さは今年に限ったことではない。それでも秋にはきっちり結果を残す。それがホークスというチームだ。