順風満帆ではなかった、アナウンサーへの道のり
母の愛を一身に受けた星は、慶応中高を経て、慶応大学に進学。大学在学中に芸能事務所に所属することもあったが、結局、母の背中を追いかけるようにアナウンサーを目指した。だが、その道のりは順風満帆ではなかったようだ。
「星は大学時代、複数のアナウンススクールに通っていました。それでも就活では、母の古巣であるTBSをはじめ、民放からの内定が得られなかった。最後に受かったのがNHKでした」(星の知人)
相当ショック、三雲の“親バカ”が発揮
じつはここでも、三雲の“親バカ”が発揮されていたという。
「民放が軒並み不採用だったことが、三雲さんには相当ショックだったらしい。アナウンススクールで星さんを指導していた旧知の人物にわざわざ電話して『あなただから安心して預けていたのに、なんで落ちたの!』とクレームを入れたそうです」(三雲の知人)
猛母の威光はNHKに入局してからも発揮されていたようで、
「星さん自身は地味な印象で、自分の主張をあまりしないし、押しも強くないタイプ。それでも初任地の岡山放送局時代には『あの人は三雲さんの七光りだ』と陰で言われていて、記者たちから腫れ物扱いされていた」(入局当初を知る関係者)
「結構です(笑)」
そんな苦節を経て夜の顔となった愛娘を、両親はどう見ているのか。実家を訪ねると、父が戸口で対応した。取材趣旨を伝えると、
「結構です(笑)」
そう固辞するも、最後には「よろしくお願いします」と、丁寧に頭を下げて自宅に戻っていくのだった。
母を超え、アナウンス界の一番星になれるか。