1957年にインド南西部マイソール州で起きた「人喰い熊事件」は、世界の熊害史においても異様な存在感を放つ。温厚で臆病とされてきたナマケグマが、突如として人間を執拗に狙う“殺戮者”へと変貌したのだ。
市街地近くに出没した一頭は住民を次々と襲い、少なくとも12人が死亡。生存者の証言によれば、被害者の顔は原形を失い、誰なのか判別できない状態だったという。本稿では、その悪夢の連鎖を宝島社ムック『アーバン熊の脅威』のダイジェスト版をお届けする。
農具では止まらない、狂気の熊
ナマケグマは体長160センチ前後、体重約120キロ。ヒグマより小柄で、長い爪を持つものの、本来は争いを避ける性質とされる。かつては熊使いに連れられ、人前で芸を披露する存在ですらあった。
だが、マイソールに現れた一頭は違った。畑を荒らし、追い払われ、殴られ、また戻る──そんな小さな衝突の積み重ねが、熊の中の何かを完全に壊してしまったのだ。
ある日、熊は逃げなかった。
農夫に向かって一直線に突進し、次の瞬間、その長い爪が顔面に叩きつけられた。頬は裂け、視界を司る器官は削ぎ落とされ、悲鳴は途中で意味を失ったという。周囲の男たちが鍬や鎌を振り回しても、熊は怯まず、血にまみれたまま暴れ続けた。最初の襲撃だけで、少なくとも3人が地面に倒れ、二度と立ち上がることはなかった。
頼みの綱として呼ばれた熟練ハンター
恐怖は瞬く間に村全体へ広がった。人々は家から出ることをやめ、夜だけでなく昼間ですら息を潜めて暮らすようになる。頼みの綱として呼ばれたのが、名高いハンター、ケネス・アンダーソンだった。
しかし悪夢は終わらない。度重なる不運と油断により、アンダーソンは二度も熊の討伐に失敗。その間、熊は人の生活圏を“狩場”と化し、1カ月以上にわたり州内を徘徊した。畑、村道、家屋の裏──逃げ場はどこにもなかった。
三度目の挑戦で、アンダーソンはようやくウィンチェスターライフルを撃ち込み、熊を仕留める。しかし、その時点ですでに36人が襲われ、12人が命を奪われていた。
この「マイソールの人喰い熊事件」は、主にアンダーソン自身の著作によって伝えられており、被害の全貌には不明点も残る。ただ一つ確かなのは、これは例外的な怪談ではないということだ。
インドではナマケグマによる惨劇が各地で繰り返されている。マディヤ・プラデーシュ州では6年間で607人が死傷し、オリッサ州でも66人が命を落としたと報告されている。
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