史上最悪の少年犯罪と呼ばれる「綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件」。

 綾瀬事件を取材する「ニュースステーション」ディレクター(当時)の山﨑裕侍氏は、服役を終えた元少年Cの行方を追い、張り込み取材を重ねた末、ついに本人と対峙した。そこでCが語った言葉とは――。山﨑氏の著書『償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って』より一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/最初から読む)

足立区東部に位置する綾瀬 著者撮影

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Cが考える“反省の形”とは

 話題を家族に転じた。

「出所してから両親や兄と事件のことを話したりしますか?」

「具体的にはそういうのはあまりないですね、話し合いとか。でもやっぱり親とかは今後のこととか支えてくれるから。そういう面ですごいありがたいですね。だから生活していくなかで物事というのは考えていくし、自分としては支えてくれるというのがすごいありがたい」

「両親が支えになっている?」

「うーん、まあそれはそうですね。そういうなかで自分だって未熟というか、まだまだ適応できない部分だってあるけど、そういうなかで頑張ってやっていく環境があるということは人間らしくすごい生きられるような気がする。だから今の少年だって『反省、反省』とかじゃなくて、受け入れるというのじゃないけど、その人間とかを見てあげて、そうすれば自然と反省とかするんじゃないですかね」

「反省というのを僕らは簡単に言いますが、どういう形が反省だと思いますか?」

「反省というか、それはわかんないですね。わかんないというか。ただ、もう、あれですね、過ちを犯さないというか、そういうのを……。だから自分のなかでの問題点というのは……」

「自分のなかで変化はした?」

「ああ変化というか、そんな大げさじゃないけど、そういうのはしたと思いますね」

「いまだに雑誌に記事が出るが見たりしますか?」

「見てないですね。そういうのは全然見てないですけど、今自分の心のなかとか、したこととかだって全部覚えているというか、そういうのがあるから、自分の見たことを全部信じてやっているから。人が『ああだ、こうだ』と言って、そういうのにとらわれたくないというのがある。

 いま自分が思っているのが正しいというかそういうのを信じて、周りの雑音じゃないけど、そういうの気にしていても、ためになるかもしれないけど、人というのは人から『ああだ、こうだ』と言われると信じちゃうから、何でも。自分でもそういうふうに『ああ俺はこうなんだ』とそういうふうに思っちゃったら、そこで止まっちゃうかもしれない。だから自分の成長とか、自分のペースじゃないけどそういうふうに」

事件を報じる週刊誌の記事 著者撮影

 言いたいことはあるのだが、考えをうまく言葉にできない様子だった。しつこいかもしれないが、被害者への償いについてもっと聞かなければならない。

「遺族に会いたいという気持ちは? 会って謝りたいとかありませんか?」

「そういうのはありますね。向こうのほうがそういうのあんま、ですね」

「これから先も生き続けなくてはならないわけで、罪の償いを自分自身のなかでどう考えているのか、あの事件をまったくなかったことにはできないわけですよね?」

「そうですね」