新宿の出会いパブに入り浸った高校時代
――10代の頃からネット環境があってお小遣いが簡単に手に入ったことで、後のパパ活への抵抗が薄らいだのかもしれませんね。高校以降はどうですか?
美咲 高校3年間はビジュアル系バンドにハマって。新宿の出会いパブに年齢ごまかして入り浸って、おじさんにお小遣いをもらっては、追っかけに使いつつ叙々苑とか行ってましたね。ファンの間ではバンドマンに貢ぐのが流行ってたけど、私は人にお金をあげるのは絶対に嫌だった。自己肯定感が低いからイケメンと付き合うのは無理だと思ってたし。
パパ イケメンのことも信用しない。
美咲 愛情は諦めてたんだろうね。私はお金や物をもらうほうがわかりやすくていい。大学生になってからは、働いてお金を稼ぐということを知った。平日はコンビニのバイト。週末はイベントコンパニオンで1日2万円くらい稼ぐ。大学生にしたら破格だけど肉体労働ですよ、ヒール履いてパツパツの服ばかり着て。それで就活も終わった4年生の時、楽して稼ぎたいなとキャバクラを始めて。時給2500円で、4時間働ければ1万円。ただ結局雑費を引かれて、手元に残るのは月20~30万くらい。
パパ でも物をいっぱいもらったんでしょ?
美咲 現金だと返せと言われた時に怖いから、キャバクラでは物でもらってた。同伴で相手をファッションビルに連れてっては服を買ってもらって。
パパ 後々僕もよく連れて行かれた店だ。
4年間、月10万円のお手当をくれていた“社長さん”
――自分の何が、物やお金と交換できる価値だと考えていました?
美咲 10代の頃から、しゃべると面白い、一緒にいると楽しいと言われていたんですよ。体を売るのは無理というのはあったんですけど、トークで頑張って、食事や交通費をもらうところから始まって、どんどんエスカレートしていった感じ。
――パパ活が本格化したのは、大学卒業後、社会人になってからですか。
美咲 はい。会社勤めをしながら、土日でパパ活をやるのにランチ枠、ディナー枠、モーニング枠と設定して、日曜の午後にようやく彼氏と会うみたいなスケジュール。体の関係なしのデートで月10万円のお手当をくれていた40代の中小企業の社長さんが一番長くて、4年間続きました。相手は童貞だったと思うし半分恋人気分で楽しかったんだろうけど、私はだんだん怖くなって。基本嘘で塗り固めて、名前も大学も嘘だし、どこかでボロが出ないか常にハラハラしながら、携帯に話した内容をメモする。
――親しくなってからも何も明かさなかった?
美咲 全部嘘ついてました。後に出会った主人にも嘘ついてて。
パパ 結婚の直前までね。
美咲 大学の学部は真実に近いものを選んで、何を勉強したかという話でウケがいいのは児童心理。