天谷さんへの唯一できた恩返し
そんな僕から天谷さんに恩返しをするチャンスが訪れたのはある日の夜。いつものように一緒にご飯を食べているときに僕は天谷さんに何気なく聞いてみた。
「宗さんって結婚願望とかないんですか?」
すると天谷さんはこう答えた。
「良い子がいれば全然したいよ!」
恩返しの好機がやってきた。「良い子がいれば」の裏返しは「誰か良い子知らない?」だ。僕が天谷さんにピッタリな良い子を紹介しようと決意した。幸いにも僕はプロ野球選手にお似合いの相手を探すのに好都合な職場に勤めていたことから、一人の先輩女性アナウンサーに声をかけた。そして3人で会うことに。
天谷さんと先輩は初対面からとても意気投合していた。というか先輩が上手いこと天谷さんの話を引き出していたという表現が正しいかもしれない。流石はアナウンサーだと強く思った。何より大汗をかきながらデレデレする天谷さんを見るのが新鮮だった。後日天谷さんと2人でご飯を食べたときに僕は聞いた。
「先輩どうでした?」
すると天谷さんはこう答えた。
「良い子やなー!」
僕の勝ちだ。まさに天谷さんが探していた「良い子」を1分の1で紹介できたのだ。それから2人は交際し、見事に結婚した。僕が2人のキューピットになれたことが天谷さんへの唯一できた恩返しかもしれない。
初めて天谷さんと野球の話をした夜のこと
2018年10月。天谷さんが現役最後の試合を迎えるということで東京で芸人として活動していた僕はマツダスタジアムに向かった。有難いことに奥様と2人の子供と一緒に観ることが出来た。
1塁側から見える背番号49番。マウンドには巨人のエース菅野投手。1ボール1ストライクからの3球目だった。天谷さんが思い切り振り抜いた打球はキャッチャーの前に転がった。
僕たちも思わず「え?」という言葉を漏らした。現役最後の打席がキャッチャーゴロという結果に泣きながら少し笑ってしまった。最後まで奇想天外だった。
引退セレモニーを終えたその夜、僕は奥様の計らいで久しぶりに天谷さんとご飯を食べることになった。あの時と変わらないコーラで乾杯をしたその夜、僕は初めて天谷さんと野球の話をした。
あのヒーローインタビューから13年。天谷さんは野球解説者として、僕はお笑い芸人として、第二の人生を歩んでいる。次会えるときはいつになるのか。その日まで天谷さんを笑わせるネタをたくさん貯めておこう。
ここで男上げろ。
いくぞマイク響かせて。
明日の解説担うは天谷宗一郎。
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