あの光景は私の宝物だ。2月の沖縄・国頭の春季キャンプの夕暮れ、高卒の新人選手ふたりがコーチのノックを必死に受けていた。既に全体練習は終了し見学のファンももういない、グラウンドには3人だけ。たまたま別の取材で遅くなったディレクターと私だけが遠くからそれを見ていた。三木肇コーチが打つノックを、声を出しながら受ける同期の中島卓也選手と杉谷拳士選手。2009年の春だった。

 昨年、杉谷選手が31歳で引退した。早すぎると惜しむ声もある中、引退会見を前進会見と称した彼は清々しい表情だった。会社を設立し、タレント・キャスターとしての引退後の活躍は目覚ましい。スポーツ関連の番組はもちろん、CMも何本も。エスコンでのイベントにもよく登場するので、ファイターズファンは今でも彼から元気をもらっている。

 中島選手は15年目のシーズンを終えた。「通算200盗塁まであとひとつです」。今シーズンはこのフレーズを番組で何度言っただろう。5月20日に199個目を記録して王手をかけた後、中島選手は左わき腹の肉離れでチームを離れた。出場機会が増えてきていただけに、悔しい怪我だった。

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 回復しイースタンの試合に出始めてもなかなか1軍に登録されず、ファンは試合が消化されるごとにやきもきした。200盗塁まであと一つなのに……早く上げてくれないと今季中の達成ができなくなるかもしれない。更にチームのエラーの数字がプラスされる度に、中島選手のあの華麗な守備を思い出し、やきもきした。どうして中島選手はいないんだろう……と何度も思った。

 9月19日、およそ4か月ぶりに中島選手は登録された。「久々の1軍で緊張した」と話しながらも早速の活躍はお見事だったし、やっぱり中島選手の守備は安心感をくれる。好守備に対して「うまい!」と咄嗟に口走る喜びを久々に味わった。

絶対に忘れられない記録達成シーンに

 そして待ち焦がれたその瞬間が訪れたのは9月22日だった。

 私はHBCラジオでファイターズの応援番組を担当している。平日のナイターの前後に編成されているので、日々、ファイターズの試合をラジオを聴きながら追いかけている。

 北海道で行われる試合はHBC独自で中継を作り上げるが、道外の試合は地元放送局に委託することも多い。記録が達成されたその日は仙台の楽天モバイルパークでイーグルス戦、この日も委託中継だった。

 2回表の攻撃、センター前へのヒットで出塁した中島選手は2アウトからスタートを切り、見事盗塁成功! やった! 大興奮!!のはずが……仕方ない、仙台の放送局の方は常にファイターズを見ているわけではない、仕方ない、本当に仕方のないことなんだけれど、盗塁が決まったシーンの実況がまったくもって普通だった。仕方のないことなんだけれど、放送席からはそれが大記録とはアナウンスされなかった。

9月22日、通算200盗塁を達成した中島卓也 ©時事通信社

 北海道のスタジオにいる私の足はバタバタと動いた。「200盗塁なんですーーーーー」とスピーカーに向かって叫んでも当然届くことはなく、そのままイニングは終わりCMへ。

 CM明け、アナウンサーの方がすぐさま「中島は節目の200盗塁でした、記念のボードが登場しました!」と伝えてくれた。「そうなんですーーーーー」と頸椎が痛むくらいに何度も私は頷いた。

 というわけで、特別なその瞬間はさらりと薄味に過ぎてしまったけれど、それはそれでなんだか普段は控えめな中島選手らしくてちょっと笑ってしまった。おかげで絶対に忘れられない記録達成シーンとなったのだ。