石川県七尾市に位置する此ノ木隧道(ずいどう)。人や車両の往来も少なく、トンネルを抜けた先は行き止まりになっている。この不思議な隧道はいったい誰がどのような目的で掘ったのか。記録が残っていないことまでは突き止めたられたが、その理由がわからず、気になって仕方ない。
ここからは、現地の方への聞き込みを行ったもようを紹介していく。
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「おれが造った、立ち上げからずっと。17、18歳の時に」
何度見ても素敵な此ノ木隧道だが、今回の訪問の主目的は隧道が掘られた理由の解明。ゆえに情報を見つけなければならない。記録が残っていないとすれば、人に話を聞くしかない。完成が昭和35年なので、ギリギリ当時を知る人がいるかもしれない。
そう考えながら集落に戻ると、ちょうど道端に、いかにも昔のことを知っていそうな男性が立っていたので、声をかけた。
「この先にある此ノ木隧道のことを調べてまして。隧道のことはご存知でしょうか」
「もう60年前になるかな。畑に行くための道やね。その工事しとったんやけど」
「え? 掘られたんですか? あの隧道を」
「おれが造った、立ち上げからずっと。17、18歳の時に」
なんと、最初に声をかけた方が、此ノ木隧道を掘ったという方だった。計画の立ち上げから隧道の完成まで、全てに関わったという亀喜勲さん(82)に詳しく話を聞く。
亀喜さんによると、当時、山の一部が農地になっており、集落から畑に行く道がほしいということになった。そこで、地域の住民だけで隧道を掘ったというのだ。各家ごとに作業を分担して、割り当てられた作業を行った。報酬をもらった記憶はなく、今でいうボランティアだったそうだ。
隧道の手前までレールを敷き、手押しトロッコで掘った土を運んだ。運び出した土を利用し、集落から隧道に繋がる道も造ったという。専用の道具はなく、農家だった家にあるショベルやクワを使って作業した。完成までに2年ほどを要したという。
道を造るというのは容易ではなく、こんな秘話も教えてくれた。