三宅唱監督の映画『旅と日々』が11月7日より公開される。ロカルノ国際映画祭でグランプリを受賞した本作では、伊豆諸島を構成する神津島がひとつの主要な舞台となる。三宅氏が、神津島を訪れたときの所感をつづった随筆「神津島を訪ねて」より一部を抜粋します。
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旅を題材にした小説や旅行記、エッセイなどを今年はいくつか読んだ。『つげ義春が語る 旅と隠遁』を興味深く読んだ。それから井伏鱒二の『七つの街道』と『さざなみ軍記』、和田誠・平野レミの『旅の絵日記』、松浦寿輝『わたしが行ったさびしい町』などを読んだ。幸田文の『崩れ』も再読した。
3月に友人と、調布から小型プロペラ機に乗って神津島に行き、そこからジェット船で新島、伊豆大島と駆け足で巡った。なかでも神津島が自分の肌にあうような気がして、5月にもう一度足を運んだ。なにかの記事に「2日あれば見て回れる」とあったが、余裕を持って4泊5日の旅程を組んだ。車で30分もあれば島の端から端まで移動できるので、たしかに記事どおり、名所の大半は2日でほぼ巡ることができた。
2日目の夕方、温泉保養センターに行くと、「観光ですか」と立派な体つきの青年に声をかけられた。「なんで来たんですか? 何にもないでしょう。出会いもないし、ほんと退屈です」と人懐っこい。
彼が日々感じている退屈さがどれほどのものかは計りかねるが、観光客の立場なりに多少は退屈さを実感していた。ただ、退屈と言っても、南国リゾート地のデザインされた退屈さともまるで違う。うまく言葉にできないが、もっと野蛮なものというか、妙な気配がある。海を眺めれば背後に天上山を感じ、山を見上げれば背後に波を感じる。
多幸湾の〈崩れ〉は、角度を変えていろんなところから見た。上空からも海上からも見たし、浜辺からも見たし、海に入って波間からも見た。堤防からも見た。多幸湾展望台からも松山展望台からも見た。黒島遊歩道を歩いて行った先の山の中腹からも見たし、天上山の山頂からも見た。しかし、どこから見てもまだ「見た!」という気がしない。いつ何がどうなってこんな〈崩れ〉になっているのか。今後どうなるのか。その物凄いエネルギーと巨大な時間に想像力が吸いこまれて、まったく見飽きない。



