先月、最終回を迎えた清水克行氏の連載「室町ワンダーランド」。500年前の日本社会は、今と全く違うと思いきや、意外と似たところもあってーー。『室町ワンダーランド あなたの知らない「もうひとつの日本」』として単行本化もされている、室町文化を軽妙に描いた人気連載を傑作選で振り返ります。
郵便物を封筒で出すとき、封筒の閉じ目に書く「×」の印、あれ、皆さんちゃんと書いてますか? 民俗学者の常光徹さんによれば、そもそも×印や十字は「外部から侵入する、あるいは接近してくるものを遮断する」効果、つまり魔除(まよ)けの意味をもつ印なのだという。
歴史上の有名事件の真相よりも、室町の庶民がいったいどうやって時刻を知ったのか、とか、彼らが朝晩どんな食事を口に運んでいたか、といった当たり前に思える問題のほうが、よっぽど謎だらけで、「本能寺の変」なんかよりも、重要な問題だと思っている。
中国の始皇帝とか、ローマ帝国の皇帝ネロとか、世界史上“暴君”と呼ばれる政治家は数多い。似たような人物を日本史上で挙げろと言われると、なかなか難しいが、室町幕府六代将軍、足利義教(よしのり)などは、わが国では非常に珍しい“暴君”タイプの政治家と言えるだろうか。
これは、いま日本美術の世界で注目を集めている「九相図(くそうず)(九想図)」と呼ばれる絵画である。ご覧のとおり、腐敗した人間の死体とそれをついばむ鳥や犬が描かれている。食事中に本誌を読まれている方には恐縮だが、目をそむけたくなるような、じつにおぞましい光景だ。
怪訝に思われるかも知れないが、室町時代を勉強するとき、現代のヤクザや興行の世界の知識が意外に役立つことがある。たとえば任侠映画を見ていると、血判状とか盃事とか指詰めの話題がよく出てくるが、あれなどは、そのまま室町時代の神仏への誓約のルールである。
『塵芥集』第163条に出てくる「媒宿」というのは、男女が逢瀬(おうせ)を遂げる宿屋。今で言えばラブホテルに当たるような場所である。室町~戦国時代の恋人たちがどのように出会い、どのように愛を育んだのか、実は具体的なことはあまり分かっていない。
プリゴジンの反乱事件が起きたとき、ツイッター(現「Ⅹ」)上で「御所巻(ごしょまき)」という聞きなれない言葉がトレンド入りして、世間を騒がせた。御所巻とは「室町幕府において諸大名の軍勢が将軍の御所を取り囲み、幕政に対して要求や異議申し立てを行った行為」(ウィキペディア)のこと。つまり、プリゴジンが行ったモスクワ進軍が室町時代の「御所巻」に酷似しているということを一部の歴史マニアが指摘したのだ。ただーー。
ヒトの恋愛感情というものは、ときに常識や倫理を軽々と超えてしまうものらしい。康暦元年(1379)頃の話である。完成して間もない室町幕府の花の御所にて、雅やかな管絃の会が催された。このとき将軍義満は22歳。
室町幕府第3代将軍・足利義満の知られざる素顔とはーー。
僕はこれまで授業や講演やインタビューなどで「歴史は何の役に立つのか?」、「歴史は何のために学ぶのか?」という質問には何度も答えてきて、そこはプロなので、その手の質問には相手や状況によって何通りもの答えを返すことができる。ただ、面と向かって「歴史って、何が面白いんですか?」と訊かれたのは、たぶん生まれて初めてだ。
(しみずかつゆき/1971年、東京都生まれ。明治大学商学部教授。専門は日本中世史。著書に『喧嘩両成敗の誕生』『戦国大名と分国法』『耳鼻削ぎの日本史』『室町は今日もハードボイルド』『室町社会史論』、高野秀行氏との共著『世界の辺境とハードボイルド室町時代』など。)
source : 週刊文春