薩摩出身のもう一人の「永山」。弥一郎との本当の関係とは?

【前回まで】現役トップの古写真研究家・森重和雄氏の協力により、来歴不明だった〈永山西郷〉写真の謎は解けた。さらに別バージョンの〈四人写真〉で弥一郎と共に写った人物の正体も判明し、これまで語られることのなかった彼の開拓使時代の実像が明らかになった――本連載は西南戦争で散った永山弥一郎の生涯を掘り起こす「同時進行歴史ノンフィクション」である。
「よくもまぁ、こんな暖かい土地から北海道へ来たものだ」
現在札幌に住んでいる私は、この連載の取材で鹿児島を訪れるたびにそんな感慨を抱く。とくに北海道の山々がまだ雪に覆われている春先に、鹿児島市内を流れる甲突川の土手では桜が咲いているのを見ると、開拓期に北の大地に赴いた薩摩人たちの覚悟が偲ばれる気がするのだ。
明治4年(1871)12月29日、東京丸で久しぶりに故郷・鹿児島の土を踏んだ弥一郎もまた、北海道との風土の違いに改めて驚嘆したに違いない。
正月を故郷で過ごした後、再び東京に戻ってきた直後の1月15日、弥一郎は北海道の「幌泉郡詰」を命じられている。
弥一郎が新たに勤務することになった幌泉郡は現在の北海道南部の日高地方、襟裳岬で知られるえりも町付近である。「よりによってそんな辺鄙な場所に?」と不思議に思ったが、北海道開拓の歴史を紐解くと、その疑問は氷解する。
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source : 週刊文春 2025年6月19日号