弥一郎が乗り込んだ東京丸の乗船リストに意外な人物の名が――

【前回まで】〈永山西郷〉と呼ばれる弥一郎の肖像写真の撮影者が、日本写真史にその名を刻む内田九一だったことがわかった。さらに青森県で発掘された〈四人写真〉で一緒に写っている人物が元薩摩藩士の堀基であることも判明し、弥一郎の開拓使時代が見えてきた――本連載は西南戦争で散った永山弥一郎の生涯を掘り起こす「同時進行歴史ノンフィクション」である。
永山弥一郎と堀基。
ともに元薩摩藩士で北海道開拓使に籍をおいていた2人が、東京・浅草で写真師、内田九一によって〈四人写真〉を撮影されたのはいつだったのか?
前回から続くこの謎を解く鍵は、国立公文書館アジア歴史資料センター(以下、国立公文書館)にあった。同センターのデータベースを検索したところ、2人の名前が並んで記された史料が見つかったのだ。
明治4年(1871)12月10日に兵部省の海軍秘史局が作成した〈篠原陸軍大佐外数名便乗の件 東京丸達〉がそれである。
東京丸とは明治4年7月に兵部省が海外から購入した木造汽船で、おもに運輸船として使われていた。
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source : 週刊文春 2025年6月12日号