帰鹿した弥一郎は異様な熱気を孕む私学校と距離をおくが――。

 

【前回まで】ロシアの脅威に対抗するために北海道に屯田兵を育てる――そんな弥一郎の情熱を明治8年の樺太・千島交換条約は打ち砕いた。この条約を主導した開拓次官の黒田清隆に「裏切られた」と激怒した弥一郎は、辞表を提出し、鹿児島へと帰ってきた――本連載は西南戦争で散った永山弥一郎の生涯を掘り起こす「同時進行歴史ノンフィクション」である。

 明治8年(1875)9月、弥一郎は北海道開拓使を去り、鹿児島へと帰った。帰鹿後の弥一郎は〈田園に耕し、閑居復出でず〉(『西南記伝』)というから、畑仕事などしながら、半ば隠居したような生活を送っていたようだ。

 一方で、当時の鹿児島は異様な熱気に包まれていた。

 征韓論に端を発した「明治6年の政変」で陸軍大将・西郷隆盛が下野し、鹿児島に帰ってきたのは2年前のこと。このとき、陸軍少将・桐野利秋や近衛長官・篠原国幹を筆頭に西郷を慕う薩摩出身の将兵などがこれに続き、その数は600人にも及んだとされる。鹿児島に帰った西郷は山でウサギ狩りを愉しみ、畑で鍬をふるう生活を送っていたが、かといって彼がそのまま隠遁すると考えていた人はほぼいなかった。西郷を囲む人々はみな、近い将来、西郷が明治政府の非を匡すために起つ日が来ると信じていた。

「西郷は、いつ起つのか?」

 それは薩摩人のみならず、明治政府の施策に不満を持つ全国の「不平士族」にとって最大の関心事であった。彼らの不満の原因となっていたのが、徴兵令であり、秩禄(明治政府から士族に支払われていた給与)をめぐる一連の改革である。

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source : 週刊文春 2025年7月3日号