西郷暗殺の流言に揺れる弥一郎たちの前に現れた“刺客”の正体。

 

【前回まで】明治6年の政変で西郷とともに下野した約600人の元将兵で、鹿児島は溢れかえっていた。彼らが暴発せぬよう私学校が建てられた。この私学校を中心に鹿児島は独立国のごとき様相を呈し、政府は警戒を強めるようになる――本連載は西南戦争で散った永山弥一郎の生涯を掘り起こす「同時進行歴史ノンフィクション」である。

 中原(なかはら)(なお)()は弘化2年(1845)、伊集院郷(現・鹿児島県日置市伊集院町)で生まれた。家は郷士、薩摩でいう()(じよう)()の出である。

 薩摩では鶴丸城の周りに居住することを許された直臣(主君直属の家臣)を城下士と呼び、これに対して外城と呼ばれる領内100以上の拠点に土着している陪臣(家臣の家臣)を外城士と呼ぶ。外城士の実態は普段は田畑を耕し、戦時に兵士となる「半農半士」であったことから、城下士は外城士を「日シテ兵児(へこ)(一日おきの武士)」と蔑む風があった。

 中原はそれが許せないタイプの人間だった。こんな逸話がある。

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source : 週刊文春 2025年7月10日号